2017.12.24までのメッセージ

平 鋼治 大学の友人が阿部君を見舞ってくれました   
阿部君の学生時代の親友であった名古屋の小島達雄君に 阿部君のことを電話とメールで連絡していたのですが、先ほど 新大阪のホームからと言って連絡がありました。 

”君に連絡もらい今日、笠原君とふたりでお見舞いに行ってきた。 
阿部君、喜んでいた。僕のことわかったと思う。いいクリスマス でした。” 
また、笠原君は、”僕のことはっきりわかったかどうかちょっと 微妙だけど喜んでくれたのでよかった。ともかく、阿部君の居所が わからなかったので今日お見舞いに行けてよかった。
昔、阿部君 が東京に来た際、君の「地球国家論」の本を僕に呉れた。いい仕事 だと思うよ。”と嬉しいおまけもついていました。 

小島達雄君の電話番号もまったく知らなかったのですがwebで 検索すると名古屋の袋物の会社社長とあり注文のmail先が あったので、もしかして学生時代、慶応の小島さんですか、もし そうなら貴兄の学生時代の親友であった阿部君について連絡したい、 そうでないなら、メールを無視してください、と入れたら、メール が入り、電話も呉れて、今回の訪問の実現となりました。 

阿部君の状態、いい方向に向いているようです。これも、出羽さん 敏さんの訪問がいい刺激になったんだろうと思います。 

Merry Christmas!! Taira Dec.24,2017 

2017年12月24日 (日) 
池田勝 日本の姿に危機感を持って“嘆いて”いる  
私は今の日本の姿に“怒っている”と言うより、危機感を持って“嘆いて”おりま す。

ここに主要5項目の問題点を列記し、次世代の人たちの正しい判断と解決への努力を 俟ちたいと思います。 
1.日本が果たすべき最も大切な国際的役割は、世界で唯一の被爆国として“核兵器廃 絶”の先頭に立つこと。 
米国がわが国を守ってくれるという幻覚を捨て、“核兵器廃絶”を発信せねばならな い。 

2.憲法9条の部分的改正は必要。自ら他国を攻撃することはないが、自国防衛のため の戦力の保持は必要である。 

3.敗戦より70余年、国歌斉唱に“君が代”がふさわしいとは言えない。自ずから愛国 心が湧いてくるものへ変えるべき。 

4.少子高齢化への対応。出生率アップへの特効薬は?高齢化社会での公的支援の限界 は?外国人労働力への依存度合と移民問題は? 

5.国土の再整備・再構築および生産性向上を骨子とする経済の活性化。地方分散化の 推進。土地利用の再編。農業振興の推進。 
 富の格差の是正。観光産業の整備。行政における国、地方自治体、住民の連携強 化。  

なお、上記の記述内容に関してどなたとも議論する気持ちはないことを申し添えま す。 

2017年12月23日 (土) 
倉田維 アメリカの核兵器が世界を滅ぼすと心配している  
”私は怒っています!” で、私は、アメリカの核兵器が世界を滅ぼすと心配しています。
「1969年11月、酒に酔っていたニクソン大統領が北朝鮮に核爆撃命令を出した!」のをご存じですか?
(北朝鮮の核より、もっと怖いのはアメリカの核兵器だという話)
 この衝撃的な事実は、2010年にワシントンで公開された公文書によって明らかになっている。同年7月、イギリス紙「ガーディアン」が「ニクソンの北朝鮮への核攻撃計画が明らかに」と顛末を報じている。 

 1969年、北朝鮮上空で北朝鮮とソ連との無線の盗聴スパイ活動を行っていた米軍偵察機が撃墜され、兵士31人が死亡した。これに対する報復として、ニクソン大統領は軍制服組トップの統合参謀本部議長アール・ホイラー(陸軍大将)に北朝鮮への核攻撃を命令した。
 核爆弾を搭載した戦闘機の元パイロット、ブルース・チャールズ氏はこう証言している。 「大佐に呼び出されて、偵察機が撃ち落とされたことを知った。そして、大佐に見せられたメッセージには『攻撃準備に入れ』と書かれていた」
 戦闘機に搭載されていた核爆弾は「B-61」。広島の原子爆弾の約20倍の威力だったというが、数時間後、攻撃は突如中止になった。
 真相は、2017年10月28日付けのアメリカ・ウェブメディア「ビジネスインサイダー」にて紹介されている。 
 パーティー会場で、偵察機が撃墜されたことを知らされたニクソンは、会場から出てすぐさま参謀本部に電話し、核攻撃を命令したのだが、問題はこのとき大統領が酒に酔っていた点だ。
 泥沼のベトナム戦争中に、北朝鮮に核攻撃するという重大な命令を受けたアール・ホイラーは動揺して、ヘンリー・キッシンジャー国家安全保障補佐官に一報を入れ相談した。キッシンジャーは「大統領の酒が抜ける朝まで待つ方がいい」と進言した。アール・ホイラーはその助言受け入れて、大統領命令を握りつぶし、翌朝に改めてニクソン大統領らと協議し、最終的に、攻撃命令は撤回されたのだという。 

この50年前の事件が今アメリカで話題になっているのは、トランプ大統領の暴走で、衝動的に核攻撃命令が出されるかも知れないという危惧からである。
 2017年11月14日、アメリカ議会の公聴会で、コーカー上院外交委員長が「トランプ大統領に核ミサイル発射に関する権限が集中している現行制度を、検証する必要がある」と指摘。
 続く18日、米軍のジョン・ハイテン戦略軍司令官が「トランプ大統領から、核攻撃の指示が出された場合、命令が違法であれば、『違法である』と伝える」と攻撃拒否の可能性を示唆した。
 こうした議論が起きているは以上のような「1969年にニクソン大統領が核攻撃を命令し、拒否された前例がある」からである。 

参考サイト https://mainichi.jp/articles/20171120/k00/00m/030/064000c  
      smart-flash.jp/sociopolitics/28855 

関連年表
マッカーサー連合軍総司令官、朝鮮戦争で核兵器使用を主張、使用の可能性あり解任される:1950.4.11
ブッシュ大統領、北朝鮮・イラク・イランを悪の枢軸国と宣言:2002.1.29
イラク戦争、アメリカの先制攻撃で開始:2003.3.19 イラク占領:4/9、2006年サダム・フセイン処刑
最初の北朝鮮地下核実験:2006年10月9日 
2017年ノーベル平和賞、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に:2017.11.6 

2017年12月22日 (金) 
倉田維 明日12月22日は冬至  
明日12月22日(金)は冬至です。
太陽が日の出の時に真東より一番南寄りに昇り、沈む時も真西より一番南寄りに沈み、従って昼の長さが一番短い日です。
この日の大阪の日の出は7:02,日没は16:52です。 

ところがこの日、日の出が一番遅く、日没が一番早い日、という訳ではありません。
日の出が一番遅くなるのは来年の1/1~1/13の間で、7時06分です。
日没が一番早かったのは、11/29~12/12の間で、16時47分でした。


もう気がついている人も居るかと思いますが、今日は10日前よりも日没が少し(5分ほど)遅くなっています。
冬至の日の日没が1年で一番早い日でない理由は簡単でありませんが、
1.地球が太陽の回りを回る軌道が円ではなくて太陽を焦点とした楕円軌道であること、
2.地球の自転軸が公転面に対して23.4度傾いていること
3.地球が太陽の回りを回る公転速度が一定ではなく、太陽に近いとき(日本の冬)は早く動き、夏はゆっくり動くこと(ケプラーの第2法則・面積速度一定の法則)
4.地球の自転速度はほぼ一定ですが、日本では明石の天文台に太陽が南中(真南に来ること)して翌日に南中する時間が1日(視太陽日と言います)ですが、この時間が24時間きっちりではなく日によって異なり、長い日も短い日もあります(理由は上の1,3による)。この長さを平均したのが平均太陽の1日=24時間です。なので日本標準時の明石天文台に太陽が南中する時刻がきっちり正午ではありません。この差を均時差と言います。今年では明石に実際の太陽が南中したのが最もおそいのが1/30~2/23では12時13分、最も早いのが10/24~11/12では11時43分です。この均時差のために日没が最も早い日が冬至の日ではなく12月5日位になります

まあこの後、日没はどんどん遅くなり、日の出は1月13日までゆっくり遅くなっていきますが、昼間は23日以降段々長くなって行きます。キリストの誕生日が12月25日になっているのはこのことに関係しているようです。 

2017年12月21日 (木) 
カッパ  井上君と阿部君に面会してきました  
昨、16日昼に敏さんと一緒に阿部くんを訪ねました。 

テレビが大きな音でついていましたが彼は、反対側の壁に向いて寝ていました。 
「おい阿部くん、カッパや、敏こと見舞いに来たで、分かるか?」 
と呼びかけたところ、暫らくまじまじと僕らの顔を見ていましたが、 

「カッパさん、敏さん来てくれたんか!」と返してきました。 

声がか細く、不明瞭なので聞き取りにくいけれども、そう聞こえました。 
敏さんが
「分かるか? 昔、呑んだり、麻雀、キャンプ、ゴルフなんか ようしたなぁ。元気出せや、お前がおらんとおもろないわ。 元気になってまた出てこいや。」 

すると、頷くように笑顔を浮かべましたが、次には、顔が歪み涙が頬を伝いました。 

右手を握ると握り返してきました。
30分ほどで施設を後にしましたが、 何とか判ってくれ、思い出してくれたようでこちらも嬉しく思いました。 

行き甲斐があった見舞いでした。 
施設によると、平君が見舞った日は、とても調子が悪かったそうです。   
カッパ 
以上です。 

2017年12月17日 (日) 
平 鋼治  阿部君に会いに行った後、同窓会に参加します  
12月3日の定例クラス会について 
遠隔地を理由に大変ご無沙汰していますが阿部君のことも気がかり。 ケアハウスに電話したら日曜の訪問もOKですということですので ”あなた、誰?”かもしれませんが、午前中に彼を訪問し、午後のクラス 会に出席させていただくことを考えています。 
(出席できると思いますが、その場合は)よろしくお願いします 

2017年11月30日 (木) 
平 鋼治  阿部君のこと  
彼の親戚にあたる曲田秀男さん(KYK社長)(彼も慶応大学で1年?後輩) に電話して阿部君のことを尋ねてみました。 
 ”数年前から老人ホームに入っています。その老人ホームで転倒し、頭を強く 打ってから半身不随になっていて調子は余りよくない、また、訪問する人の 識別もちょっと難しいと思う状態。” ”(奥様の)雅子さんも余り調子良くなく、阿部君が帰宅しても誰も面倒を 見れないので老人ホームに入った。” ということでした。
 先ほど、折り返しの電話あり 
”老人ホームは、ニチイケアセンター:大阪市平野区長吉長原東3の2の5 
電話番号 06-6760-5851”と教えてくれました。 
ホームページによれば、谷町線長原駅から徒歩3分の由です 
(ホームページの電話番号は、事務センターの電話番号ですのでもし、電話 するなら上記の電話番号の方が入居者の事情がよくわかります) 
ニチイケセンターに電話して尋ねてみました 
”入居は、2年前のH27年から。一人部屋です。軽い認知症になっておられても おかしくはない・・・。” ということです。 

2017年11月28日 (火) 
平 鋼治 定例クラス会の開催おめでとう  
追高9期1組定例クラス会の開催おめでとうございます 
 いいですね。今回のテーマ「私は怒ってる。この世の中、日本と世界の将来」 は、実に時宜を得たテーマだと思います。倉田さんから昨今の事件、問題点が 列挙されてますし、充分だと思いますが、僕なりに追加するなら、自衛隊を 違憲とも言えないのが典型ですが我が国の「司法の堕落」は、甚だしいですし 1000兆円を越える借金を是正させるどころかマイナス金利で財政破綻に ゴマする中央銀行(これだけ食料、野菜、・・など立派に大インフレとなって いるのに何がデフレ脱却のため!)、マスコミもけしからんですね(例えば 憲法改正と安倍政権の憲法改定を頭から「改正」といい、これに賛否を問う 姿勢ですが、「改正」に反対する人は、いない。反対しているのは、むしろ 改悪だから。マスコミは、もっと日本語に真剣になって欲しい。その他にも いろいろあります。) 
 安倍の政治の私物化も甚だしい。税金を使ってゴルフ接待?も、森友、加計問題 もそうだと思う。政治家の権限の私物化、司法、マスコミの堕落、中央銀行の 経済原則からの離脱、地球規模の規律、環境、平和、繁栄を考えない「国家」 根本的な是々非々、世界標準、世界規律を「思考」しない人たち、文化、・・・ 
ほんとうに「私は赦さない!」の意見で大いに盛り上がってください。 老人だと思ってたら怒るで!!の気概に期待しています。 
 ・阿部君のこと 申し訳ありません。小生も個人的にいろいろあってもう随分前から旧会社関係や 学校関係の先輩、同僚、同級生の皆さんとの年賀状等もサボリ、ただ蟄居して いて、彼の近況についても全くわかっていません。彼の生来の明るさもあって、 てっきり幸せに元気でやっていると端から思っていたのですが、どうやら、そうでも ないようで本当に心配です。今日は、出羽君には電話して、松屋町筋の彼の実家を 一度訪れていただきたいとお願いしました。 
 出羽さん、ご多忙とは思いますが阿部君の実家訪問のことよろしくお願いします。 巽さん。賀状いただき、その中で阿部君のことに言及されていたのに、お返事も差し上げず、 ほんとうに申し訳ない。すみません。 井上さん。ご自宅に電話したけど留守電になっていました。きっと、仕事に行かれた のでしょう。老骨に鞭打って頑張っておられるのは、立派です。頑張れ!! 
 12月3日のクラス会の盛会を祈ってます。

2017年11月27日 (月) 
平岡(内藤)  みなさま お元気ですか   
みなさましばらくご無沙汰しておりましたが、お元気でしょうか。 
 倉田さん いつもクラス会をひっぱっていただき、感謝しています。 だれかが率先してお世話いただくことで続くのですね。 この後もよろしくお願いいたします。 
 私は中学のときに大相撲にはまり、最近もよく相撲をみますが、貴乃花の独善もさることながら、白鵬の振る舞いにいらいらしています。 これもクラス会の話題に入れていただきたいです。 
 阿部さんは お元気はお元気だと弟の恭三さんから聞きました。 施設に入っておられるそうです。 
 浅野さんも残念ですね。池田さん 奥様とお話しされたそうで よかったです。
 竹田さん 高知での生活うらやましいです。最近は緑が恋しく、和歌山に住んでもと 思ったりしますが、相変わらず通勤の日々、ゆったりとすごせるのは主人がなくなってから でしょうか。自坊光平寺のこともずっしりと私の肩に乗っています。 
 いつか みなさんと一杯酌み交わせる日を楽しみにしています。 3日のご盛会をお祈りします。 

2017年11月27日 (月) 
池田(勝)  阿部君の元住所を尋ねました   
6月9日に用事のついでに阿部君の消息を尋ねて松屋町へ行ってきました。 
1. 松屋町住吉4-6に行ったところ、ビルは昔のままで、ビルに沿って取り付けら れた細長い「アベラベリング」の看板も、1階正面付近からアーケードにせり出した 「結納の阿部」の看板も昔のままでした。 
2. 1階はコンビニが入っており、そのお店の店長さんに聞きましたが、阿部さんの ことは何も知らないとのことでした。 
3. 2階から上は賃貸住宅になっているようで、「メゾンアン松屋町」という呼称の ようでした。LIETO不動産(株)という会社が管理していると書いてありましたので、こ の管理会社に問い合わせましたが、阿部さんに関しては情報が得られませんでした。 
4. 北隣の人形店さんと南隣のおもちゃ屋さんとに問い合わせしましたが、阿部さん はだいぶ前に出て行かれたとのことで、3~4年は経っているような感じでした。なお、連絡先は知らない、とのことです。  

2017年6月29日 ( ) 
池田(勝)  浅野君の奥さんに会いました   
6月26日、近くに用事があって浅野君のお家を訪ねました。 奥さんが出てこられて、10分ほど立ち話をしましたが、私の突然の訪問にもかかわ らず、喜んで頂きました。 この7月に浅野君の7回忌の法要をするそうです。 奥さんもお子様もお元気にされているようでした。 お母様は2年前に99歳で行かれたそうです。 

2017年6月29日 ( ) 
竹田      西崎(清川)さん、岸本(速水)さん、ごめん   
 西崎さんは、きっと、竹田君は人違いをしている!ムカ ッ#と思って、近況を書いたのでしょうね。ごめん。年賀のやりとりをしているのは岸本和子さんでした。 
当時は、皆さんは高嶺の花でした。追手門学院は小学校、中学校まで、「男女七歳にして席を同じくせず」の教育を受けていましたから、きっと、高校に入ってもあまりお話をする機会がなかったのではないかと思います。それで、区別が付かなく成って、本当にごめん。 
さっそく、高校の卒業記念アルバムでお二人の姿を探そうと思ったのですが、コレが不幸にも見つかりません。きっと、母の家に置いてあったので、阪神の震災で行方不明になったのでしょう。でも、中学校の卒業アルバムは見つかりました。初々しい、可愛いお二人でした。 
まあ、西崎さんは気を悪くされたでしょうが、近況が知れて良かったです。 でも、このやりとりを不運にも岸本さんが見たら、大激怒 ?。 岸本さん、気がついたら、本当にごめんなさい。来年も年賀状宜しくね! 

2017年6月13日 (火) 
西崎(清川)    日々のこと   
皆様のボケ防止策、楽しく読ませていただきました。 
私の防止策は、小さな子供との関わりです。 
もうすぐ4歳になる男の子の孫ですが、1歳過ぎから 時折、預かっていますので、ぼんやりとしてはいられません。 
一回に4,5泊です。昼間は近くの公園や、子供館、水族館などに連れていき、 抱っこーーと言われれば10数キロを抱えて歩き、お陰で腕の筋力がつきました。
寝る前には絵本の読み聞かせ。これは幼子といえども手抜きは出来ません。 何回も読み聞かせていると、すっかりストーリーは頭の中で、少しでもいい加減に読むと (違う!)と指摘あり。そのうち寝息がきこえるとホッとします。 
膝が痛く、数年前には整形外科に通っていましたが、そこでのマッサージ、リハビリには 期待できず、自分なりに本を参考に膝体操をしています。これは効果あり。 継続は力なり、、、です。 
庭仕事は好きで、今はバジル、ルッコラ、コリアンダー、三つ葉等々、食卓に重宝で 土いじりを楽しんでいます。 
車は45年の運転歴、まだ毎日のように運転しています。 でも腕前を過信することなく、あれっと思うことがあれば、辞めなくてはいけませんね。 
竹田さん、西崎は速水さんではなく、清川です。よろしくね! 井町先生も最後まで、速水さんと私とを間違えていらっしゃいました。 のんびりとした時代だったのですね。 懐かしいです。 

2017年6月12日 (月) 
竹田    私の健康法、「ボケ防止」   
私自身は、ボケ防止を意図しては何もしていません。 仕事が医師ですから、ボケると、皆さんを大変困らせることになります。 ただ、医師の立場から見ると、ボケは、早い人では50才前半から始まるようです。しかし、90才を超えても、しゃきっとしておられる人も居ります。成り行き上、難しい説明をしてしまった様な場合でも、よく理解し、適切な反応を示される方もおります。生まれたときは、皆、能力に大差はないですが、高齢になると大きなバラツキが生じるのでしょうね。仕事柄、頭のMRIを見ますが、脳萎縮は、皆、年齢相応に認められます。ボケは、脳細胞の減少だけではないようです。
「ぼけ防止」でやっているわけではないのですが、あるテーマで英文総説を書く準備をしています。大変な数の論文を読み、下書きをしているところですが、コレはボケ防止になるのか?または、頭を酷使して、ボケの原因になるかよく分かないなと思っています。少なくとも、目には負担になっています。 ただ、この仕事をし始めて、いすに座って仕事をする時間が多くなった結果、長く座っていると、お尻が痛くなることに気づきました。検査技師さんにそれを云うと、先生、それは、年を取って、運動をしないから、筋萎縮が始まったからですよと注意されました。最近まで、夙川クラブの室内コートで、家内と週1回、試合ではないですが、乱打をしていました。しかし、最近、ゴルフも同じなのでしょうが、高齢者が増え、テニスをされる方が減ってきたとのことで、クラブが閉鎖になりました。コレが効いているのかもしれないと思い、近くの冑山森林公園、又は神呪寺の八十八箇所巡りなどをして足ならぬ、尻の筋肉を鍛えています。
話は変わりますが、倉田君や井上君は、もう大分前に、運転免許証を返納したと聞きます。そういうことなら、自動車運転に関しては完全にボケた、と云うことになります。私は、海外旅行では絶対に車は必要ですし、高知の家への行き帰りにも車は必要です。当分、車の免許証は手放せません。ただ、年齢の衰えは、本人が気づかないところでも現れますから、自動追随機能はもちろん、サラウンドビュー、パーキングアシストが着いた車を次は買おう思っています。そうなると、高価な車になります。最近は、高齢者からもお金を取ろうという傾向がありますので、税金が高くならないうちに買おうと思っている今日この頃です。 

2017年6月11日 (日) 
池田(勝)    ぼけ防止策について  
一か月の予定、一週間のスケジュール、一日の行動計画をたてて、それに基づいて毎 日を過ごしています。 
とにかくボオーと過ごさないことが、一番のボケ防止だと思っています。 

以下に、日々実行している具体的な行動パターンを列記してみます。 
・ 週に2~3日仕事に出ます。仕事で月平均1700kmほど車を運転しています。 
・ 月3回ほどゴルフを楽しんでいます。 
・ 2週間ごとに図書館に行き、10冊ほど借りて、読めるだけ読んでいます。 
・ よく買い物に出かけます。食料品の買い出しが主です。時々、家内の代わりに料 理もします。 
・ パソコンで時々ゲームや一人カラオケをします。 
・ テレビはスポーツの実況とニュースの報道を主に見ています。 
・ 就寝前に自分流のストレッチ体操15分と、マシーンで階段昇りを15分していま す。 

2017年6月6日 (火) 
森下    内藤さん、竹田さん、みなさんへ  
仲さん(竹林さん)がゆかれて淋しいです。 
コーラス部や、ダークダックスのコンサート、園田孝弘のショパンコンサート・・なども一緒に聴きに行きました。 内藤さんの仰るように、天国では皆川さんとも再会されていることでしょう。小学校から大学までご一緒でしたから・・・ 昨年吹田で仲さんにお会いした時には、追手門の 皆さんによろしく言ってくださいと仰っていました。 中高を追手門で学び、妹さんも2年下に在学しておられましたので、想い出はつきないのだと思います。 なんと、一緒に学院の校歌も歌ったりもしました。 

私は、始めての句会の吟行で、横浜の外国人墓地や港の見えるが丘公園へ行くところです。 遅ればせながら、エクセルをし始めました。 色々な事してみたいのに、思いばかりの昨今です。 お互いに、元気で過ごせるように祈ります。 倉田さん、いつも、この度も、有り難うございました。芹生孝子 

2017年6月6日 (火)
平岡(内藤)   倉田さん・皆さんへ  
いつもお世話いただきありがとうございます 
竹林さんのこと 森下さん お知らせありがとうございます。 
誤嚥性肺炎とは 永く入院なさっていたのでしょうか? 今日明日おまいりできませんが、ご冥福をお祈りいたします。 皆川さんとの再会を楽しんでほしいです。 

気が付けば、74歳、75歳 人生のしめくくりを心がけねばなりませんね。 今度のクラス会も失礼しますが、これも話題にしてください。 
私は一昨年病気、昨年骨折で入院しましたが、なんとか乗り越えました。 リハビリ病院で習ったトレーニングをしてます。 今は相変わらず毎日出勤しています。仕事を持っているのは気持ちに張りがでます。 運転は今も現役、そのうちにやめないとと思いますが・・・ 
クラス会 ご盛会をお祈りします。 

2017年5月31日 (水) 
竹田    竹林さん追悼と近況  
竹林さんが亡くなられましたか。 卒業してからはお会いする機会がありませんでしたが、学生時代の印象では、大変、大人しい方だった様に覚えています。 まだ、誤嚥性肺炎になるような年齢とは思えませんが、何か基礎疾患でもあったのでしょうか。 ご冥福をお祈りします。 
京大の同級生も、多くの方が鬼籍に入っています。この年齢は、そんなものなのかもしれません。 

東京にお住まいの方は、どれだけの方が集まるか分からない数時間の同窓会にわざわざ出席を思い立つのは難しいでしょうから、お会いするチャンスもないままになる方も多いかもしれないと思うようになりました。 個人的には、予備校も一緒に通った数学の得意な伊東正光君は元気にしているのかなと気になっています。 西崎(速水)さんは、毎年、年賀のやりとりをしていますのでお元気です。 皆、同窓会のホームページの掲示板を使って、少しの消息があれば嬉しいのですが。 

さて、私の情報ですが、6月の同窓会には残念ですが、出席出来ません。 高知の家を借家にしていましたが、空きましたので手入れのためというか、チェックのために、週末、高知に行ってきます。 
高知と云えば、地震と津波で心配ですが、私の家は、丘陵地の上に有ります。元々、この地域の庄屋さんが住んでおられた土地で、津波にはつからない高さにあります。よって、この地にたどり着く前に地震が来ると危ないですが、確率的には大丈夫でしょう。 関西とは違って、余裕のある住宅地で、空気が綺麗なこと、夜は星がよく見えること、二階のテラスから遠くですが海が見えること、目白やウグイスなど小鳥が庭に遊びに来てくれることなど、所謂、閑静な住宅というのを通り越した所です。何よりも、食事がうまい。近くのスーパーで、十分すぎる美味しい鰹のたたきが食べられます。 
6月の会には出席できませんが、雑談テーマ「私の健康法・・ぼけ防止など自分の心・体のためにいいと思ってしていること」には参加しようと思っています。 今年の12月には、何をさておいても同窓会に出席しますので、宜しく。 

2017年5月30日 (火) 
芹生(森下)    竹林さんがお亡くなりになりました  
昨晩ご主人の甲三様からお電話がありましたので、お知らせ致します。 
昨日の午後幸子さんは誤嚥性肺炎でご逝去されました。 入院中ご主人に看病されながら安らかに帰天されたと仰っていました。 
カトリック吹田教会にて本日、午後6時 お通夜  明日、午前11時 ご葬儀です。 
私は、昨年9月、吹田で彼女に会いました。 今は万感せまるものが有ります。 

2017年5月30日 (火) 
竹田    ヨーロッパ・グルメあれこれ  
 2016年6月の例会に出席したのは、池田君、出羽君、倉田君、傍士君と私の5人でした。 
出席者は4ー5人と言うのが最近の定番、多田君が所用で来られなかったことを除けば常連の顔見せと言うことになりました。今回の話題は「食べる喜び」で話そうと言う事になっていましたが、私にとっては最も不得意な話題、mailを頂いた時点で困ったなと思っていました。 
 私の幼少時代は、家が開業していたせいで乳母に育てられ、あまり美味しいものを食べた思い出がありません(乳母には大変世話になりました)。大学時代は、学食、たまに河原町の眠眠で湯麺、餃子にジンギスカンかニラ炒めを食べるのが最大の贅沢でした。卒後2年で結婚しましたが、当時の、おそらく今の研修医も同じでしょうが、帰宅は早くて10時、遅いときは12時でした。家内は銀行員の娘、7時頃には食事を作り、今か今かと帰りを待って、食事に火を通します。当然、煮詰まり、味は濃く成ります。ある日、うかつにもこのお吸い物はえらく塩っぱいな言ってしまいました。彼女曰く、この瞬間にプッツンしたと。長浜市民病院に赴任の2年半は彼女の手料理を食べましたが、滋賀医大時代は、彼女が阪大の歯学部に入学で、私の里から通学、半別居生活でしたから彼女の手料理は食べず。阪大を卒業すると、程なくアメリカ留学。彼女も歯科矯正学講座でafter-graduate course履修のため大学通い、ろくな食事を作らないAmerican wifeになりきって(きっと、彼女に合っていたのでしょうね)、料理修業はせず。帰国すると、高知に赴任。彼女は、しばらく歯科診療をしていましたが、実験をする方が面白いと言って、私の実験を手伝うようになって、また、深夜まで大学に立てこもり、弁当生活が始まります。こんな訳ですから、「食べる喜び」は私には無縁の存在です。 

 では、うまいものが分からないのかと言われると、そうではないと反論したくなります。職業柄、接待をする、または、接待を受ける立場に長年ありましたので、京都に限れば、超高級料亭はほとんど行っていると思います。確かに美味しいとは思うのですが、私の食の履歴からなのでしょうか、もう一度行きたいと思ったことはありません。ただ、高知よりこちらに帰ってきて驚いたのは、阪神間の人がなんとまずいものを口にしているかと言うことでした。私の住む近くには、関西スーパーというそこそこの規模のスーパーがありますが、夜の8時、大きなロールスが陣取っています。彼らも、こんなまずい食品の残り物をあさっているのかと思うと、納得というか、当地ではあまり食には期待しない方がよいと思う様になりました。
 ところで、最近、家内が家庭菜園をする様になりました。特に実入りが悪いと言うこともないのですが、薹が立ったアスパラガスや、やけに筋がはいった三つ葉で大変迷惑しています。このお吸い物は三つ葉どんぶりだなと嫌みを言ってもどこ吹く風、意に介しません。結婚50年の歳月は、こうも女を強くするのか、または、面の皮を厚くするのかと考え込んでしまいます。でも、女が強くなったのは悪いことだけではありません。やれ、薬学部だの、歯学部だの、はたまた、高校の同窓会などと、まあよく遊びに行くか思えば、奥様方の勉強会?社会貢献の会?よく分かりませんが、とにかく、よく家を空けます。しかし、わたくしにとってはこれを幸いと、近くのコープで3割引き、半額の好きなものを探して食べ、一時の幸せを味わっています。前書きが長くなりましたが、こんな状態ですから、「食べる喜び」など書けるわけがないと言ったのですが、倉田君は「ヨーロッパグルメあれこれ」をテーマに書いてくれと言いますので、仕方なく筆を進めます。 

 ご当地版のグルメと言えば、イギリスはだめです、ドイツも美味しいものはありません。ドイツを旅すれば、衣の付いた揚げ物、日本で言うカツレツにあたるシュニッツェル(Schnitzel)を食べるのが無難です。ただ、4ー6月に行くチャンスがあれば、white Asparagusは格別です。北欧は、保存食の燻製がメインで、エルクの肉などは少し癖がありお勧めではありません。ただ、ストックホルムで食べたサーモンステーキは大変美味しいというか、日本で食べるサーモンより何倍もデカイ切り身が出てきてびっくりします。 同じようなサーモンは、ブリュッセルのグランプラス広場でも頂けます。テラスに出て、青空の下で食べるのも一興です。ベルギーは魚介類が豊富で、貝類の盛り合わせも美味しいです。そうそう、ベルギーと言えばビールを忘れてはなりません。古都、ブルージュに行けば、北のベニスと言われる古い街並みを散策すると同時に、旧市街に点在するビール醸造所を訪れ、食事かたがた地ビールを楽しむ事を勧めます。 
 美味しいものがたくさんある地域と言えば、やはり南欧です。我々が、洋食と認識している料理は、カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアから持ち込んだ料理が進化したもの、所謂フランス料理です。だから、フランスではどこに行っても美味しいものは頂けます。しかし、お勧めとしてはボルド-周辺で、良いお店があります。一例を挙げると、フランスの美しい村の1つであるGensacのLes Remparts Hotel(http://lesremparts.net/fr/)です。ご夫婦が経営されているお店で、前面に広がる広大なボルドーの森と共々、料理が大変美味しいです。私たち夫婦は基本的には別メニューを頼むのが習慣になっていますが、この時、「お肉のお味はどう」と聞かれ、つい、「おまえにはやれん」と言ったら半分かっさらわれました。今でも、時々あのお肉は本当に美味しかったねと話題になりますが、私にとっては残念な思い出です。 
 牡蠣料理は、パリ、オペラ座の前でも食べられますが、やはり、ボルドーでしょうね。私のお勧めは、ボルドー近郊のビアリッツです。ナポレオン3世のお后の離宮がある有名なリゾート地です。立派なホテルが建ち並んでいますが、海岸沿いの小さなレストランで十分美味しい牡蠣が食べられます。日本人の目にはとても食べきれないかと思われるほど、大きな皿に牡蠣、ムール貝、etcが山のように並べられています。夕日が沈む赤く染まった海を観ながら、白ワインを飲み、生牡蠣を食べるのは格別ですが、ここでも家内にしてやられました。まあ、たくさんあるので被害は少なかったですが。 フランス料理と言えば、マルセイユのブイヤベースも捨てられません。地元の味を是非とも味わって下さい。 
 スペイン料理と言えば、皆はパエリアが頭に浮かぶと思います。しかし、この料理ほど当たり外れの多い料理はありません。パエリアの発祥の地はバレンシアとバルセロナで、それぞれ味は異なりますが、皆が食すのはバルセロナと思います。ただ、ここで注意するのは、ガウディの奇妙な街灯があるレイアール広場では食べないことです。この広場は有名な観光地で、名の知れたレストランもありますが、私の経験では、美味しくなかったです。雰囲気を楽しもうと思えば、少し町の中心から離れますが、海岸地区が良いです。昔は、日本の海水浴場にあるような小屋でしたが、最近は再開発され、清潔なレストランが建ち並んでいます。世界遺産の「カサ・ミラ」の近くにも美味しいパエリアの店が最近あるそうですが、私は知りません。 
 スペイン料理で落としてはならないのは、生ハムです。私は、グラナダ、アルハンブラ宮殿の付属施設で開かれた国際学会の晩餐会でたらふく食べました。出席者は、洋の東西を問わず、皆、大満足でした。感激した京大教授は生ハムの大きな一塊を買いました。そんなの税関を通るのと聞きましたが、何も問題がなかったようです。生ハムですからどこでも食べられると思います。皆さんもスペインに行けば是非とも食してみてください。 
 スペインは州によって食文化が大きく異なるようで、豚足や脊椎の煮込み、濃厚な豆の煮込み「ファバーダ」なども有ります。一度、水道橋とシンデレラのお城のモデルになった白亜の城で有名なセコビヤで食しました。ただ、メニューがスペイン語でよく分からず、高ければ良いだろうと思って注文しましたが、奇っ怪な形をしていました。食通にはたまらないのかもしれませんが、すでに述べたように、保守的な舌をしている私にはあまり受け付ける味(形?)ではなかったです。 
 イタリアは、西はジェノバ、ピサ、北はシエナ、ラベンナから南はシシシリーまで、いろんな所を回りましたが、バチカン、システィーナ礼拝堂近くのレストランを除いて、レベルの違いはあっても全て◎でした。どこでもお上りさんが来るところは良くないのですね。 高級料理は、フィレンツェのエノテカ・ピンキオーリ(Enoteca Pinchiorri)で頂きました。世界的に有名なレストランで、皆さんも名前だけでも知っておられるのではないかと思いますが、本店は大変格式のある古い貴族(フィレンツェですから商人?)の館です。ディナー のフルコースと、ワインのフルコースをオーダーしました。数時間の食事を、サーブする方が適切に場を盛り上げていただき大変楽しいディナーでした。値段は少々張りますが、日本のことを思えば、たいした値段ではありません。ローマなら、「甘い生活」で有名なヴェネト通り界隈のレストランが、雰囲気があて良いですよ(もっとも、値段の割には、不味いという噂もありますが)。皆は、イタリアなら「パスタ」だと思っていると思います。昨年は、シシリーに渡るため、イタリアの長靴の先に当たるレッジョ・ディ・カラブリア に逗留、久々に美味しいパスタにあたりました。Grand Excelsior Hotel Reggio Calabriaの屋上で、メッシーナ海峡を挟んでシシリーの灯火を観ながらの夕食で、私の好きなボンゴレと鱈のムニエルをオーダーしました。これは大変美味しく大満足でしたが、今回は、家内はいつもの租税徴収、無言で半分持って行きました。長年しつけが出来ていないのだから仕方がないか、残念。 

 グルメの話をするなら、ワインの話もしなければ成りませんが、今回はやめておきます。食事を盛り上げるのは、その場所の雰囲気も重要です。イギリスの古城での食事など上げるときりがありませんが、1つ綺麗なレストランを紹介して終わりにしたいと思います。 イタリアアドリア海側、バーリ近郊の海沿いにあるアーチ型の鍾乳洞を利用した洞窟レストランです。大変綺麗です。チャンスがあれば是非行ってみてください。 
 レストラン「グロッタ・パラッツェーゼ」(http://www.moshtravel.com/grotta-palazzese/)。 

 今年の冬も、また集合!楽し話の花を咲かせましょう。 > 
2016年6月10日 (金) 池田勝    竹田様・皆さまへ  
 竹田君、先日の定例会のレポートありがとうございました。楽しく拝読させて頂きました。シシリー島の旅大満足の由、 何よりでしたね。私も昔にスペイン領のマジョルカ島へ行き、楽しかったことを思い出しました。寄る年波に勝てず、遠出 はゴメンということにならないうちに、旅したいところへ行っておくことですね。当方は、去年から今年にかけて母が亡 くなる等、身辺にいろいろあってバタバタしましたが、今年は家内と出かけたいと思います。予定地は、北海道、小豆島、 バンコック、ニューヨークです。
 余談ですが、母は大変元気にしていましたが耳が遠くなり、一度竹田君に見てくれるよう頼んでほしいと言っていました。 そのうちに、と私が言っているうちに急逝してしましました。
 さて、定例クラス会の件ですが、参加者が固定していて、毎回3~5名ぐらいの様ですが、年に2回旧交を温める場がある ということは有難いことですので、倉田幹事に感謝すると同時に、ますます元気でいてもらうことを祈るのみです。 要は優先順位のつけ方ですので、継続して開かれておれば少しづつでも盛会になるのではと期待しつつ、私は来年度の手帳 の6月5日には定例会出席と記入しました。

2015年12月30日 (水) 竹田   2015年12月定例会  
 今回の出席者は、倉田君、多田君、出羽君と私、竹田の4名でした。およそ出席者の顔ぶれは決まっていますが、いつも顔を出す、池田君、加茂野君、井上君が所用などで来られなかったこともあり少し寂しい例会でした。
 今回の同窓会の雑談テーマは「趣味」と言うことになっていましたが、最近の時勢を反映してか政治向きの話に花が咲き、あまり趣味の話はせずに終わりました。会の終わり頃になって、倉田君が「趣味」の話をしようと言うことになって、席順から私に最初のおはちが回ってきました。私の趣味は、読書、旅行、音楽鑑賞など多彩です。“など”のなかには、テニス(これはかなりやりました)や、モータースポーツ(これはかじった程度ですが)などもあります。さあ、何の話をしようかと頭を巡らして、最大の趣味は「研究」だと思い切って言うと、倉田君はそんなのじゃないとあえなく却下。確かにこれは酒の肴には成らんもんなと思い、話は頓挫。そこで、倉田君が、見本として、湖北に持っている別荘よりカヌーで琵琶湖を周航する熱い夢を披露しました。どうも、倉田君はこれが話したくて「趣味」のテーマを選んだのかもしれません。船ではありませんが、今は亡き西村君と車で、二十歳になるか成らないときに、琵琶湖を一周したことを懐かしく思い出します。

 それでは、私の趣味の話がないので、趣味(?)の1つである旅行、今年の海外旅行について記します。9月に、南イタリア、シシリー島に行ってきました。この地方は、少し怖いところかと思って今まで足を踏み入れていなかったのですが、行ってみると大違い、大変人情の厚いところでした。観光案内でもよく知られている洞窟住居やおとぎ話に出てくるような茸の屋根の家など以外に、ギリシャ遺跡があちこちに点在しています。ギリシャ神殿はアテネに行く必要がないほど見ました。モントレアート大聖堂の内陣の絢爛豪華なモザイクも素晴らしい!の一言に尽きます。シシリーは海の色が本当に綺麗です。また、最近大噴火したエトナ山やここかしこの海に迫った絶壁も絶景です。食事も大変美味しいです。治安状態は、テレビでは難民がシシリーに100名程上陸したとか報道していましたが、街では見かけませんでした。映画「ゴッドファーザー」で有名なパレルモのマッシモ劇場でラ・ポエームを観劇ましたが、隣のボックス席にイタリア大統領ご夫妻がおられるのは最後まで気づきませんでした。開演前に、皆がこちらを仰ぎ見、序曲でもない変な演奏(イタリア国歌)をしているなと思ったのは、このためだったのだと後でわかりました。どこの馬の骨かわからない日本人を隣のボックス席に座らせる鷹揚さ、幕間の劇場内の散歩でも警護の姿を見なかったことから考えて、シシリーの治安は我々が考えているほど危なくないのかもしれません。 家内は、また行こうねと言っていましたが、ヨーロッパは大変なことになってきました。来年は行くところをよく考えなければならないか、それとも、日本でおとなしくしておくべきか、ここが思案のしどころだと思っています。
 そうそう、来年はまた皆元気で集まりましょう。 
2015年12月29日 (火) 幹事     2015年12月会員メッセージ  
定例会が明日になりました。多田君が埼玉から参加してくれます。多忙な時期ですがお集まり下さい。 
芹生(森下)さんからメールをいただきましたので紹介します。

クラス会のお知らせ有り難うございました。 欠席ではありますが、お知らせ頂くだけでもうれしくなります。 下手な俳句ですが・・・市の講座に2度ばかり出てみました。あと3回あります。 

冬野パリ 憎しみ落胆 果つ人の居り 
天を指し 銀杏金色 土になる前 

どうかお元気で             芹生

2015年12月5日 (土) 幹事    2015年6月会員メッセージ3  
竹田君からのメール:ここ1ヶ月、学会関係の仕事が重なり、今回の会合は遠慮させていただきます。 多田君は元気で、東京から来られますが、私は、東京はおろか、京都に行くだけでもせっかくの休みの日なのにと思うようになりました。 歳のせいでしょうが、暮れの会合には出席するつもりです。 趣味は、読書、旅行、音楽鑑賞などなど、どれも深くはないですが、多彩です。 今年は、学会に託けて、ローマ、アマルフィー、シシリー島に行ってくる予定です。 シシリー島では、ゴッドファーザーで有名なマッシモ劇場(元々、初演の多い有名なオペラ座ですが)でノルムを鑑賞してきます。 どうも、ヨーロッパもきな臭くなってきました。世界大戦や民族大移動はこのようにして起こるのでしょうか。 経済の裕福な所にヒトの移動が起こるのは仕方がないことですし、当然摩擦も生じるでしょう。 ローマが滅んだのもこんなことだったのかもしれません。 いずれにしても、来年は、行くところをよく考えなければと思っています。 
2015年6月6日 (土) 幹事・2015年6月会員メッセージ2  
平君からメール:楽しい会合でいいですね 当方、遠隔地につき出席叶いませんが、集まられる皆さんの笑顔を想像して 楽しくなります。 今回の題目は、「趣味」とのこと。無趣味な小生ですし、最近は、とみに考えることから どんどんと離れてゆくような思いが頻りです。 何か、文章にしたいとの思いはあるのですが、・・・。 まあ、文章にしたいものは、やはり、「国家と平和」の関係になります。 最近の駄文のひとつを御趣旨には離れますが少々、披露させていただきます。 

  憲法の生い立ちを考えると、憲法のいっている「戦争放棄」とは、日本国家は、国際紛争を武力で解決しない、ということだ。つまり、「戦争放棄」とは、武力放 棄をいっており、軍隊の保持も永遠に放棄する、というのが、原義だ。第二次世界大戦の戦勝国家の武力支配の安定支配体制の維持を設立の沿革精神とする「国 連」と「国連」の展開する武力を背景にした「平和活動」、それに、経済的発展を遂げた現実的な先進国家の巨大な軍事力と軍隊を維持できる経済発展を成し遂 げ、戦後の何十年、戦争を一切せず、経済的な国際支援をも為し、世界の平和に貢献している日本の現実を考えると、この憲法の精神と軍隊の非保持は、如何にも、自虐的、不平等で非現実的にも思える。だが、政治は、どこまでも「憲法」の執行機関であって、勝手な解釈やひんまげての解釈を許されるはずがない。戦勝国の軍隊の保持を前提にし、軍隊を容認している他国の「憲法」と敗戦後に生れた日本の「憲法」は、全 くことなる。「憲法」でも軍隊の保持を当然としている米国と軍隊の保持を容認していない「憲法」の日本とが「集団的自衛権」として軍事同盟を結べる筈がな い。それがいけないというのなら、「憲法」そのものを改訂して後、関連法案を考えるべきだ。「憲法」をそのままにして、自衛隊を「軍隊」に格上げし、国際紛争を解 決しようなんて法案は、誰が考えても「違憲」は、明白だ。「憲法」の否定している「国際紛争を武力では解決しない」「従って、軍隊の保持は認めない」とい う大主義の下で、原理原則を無視した、安倍政権の推し進める一連の軍事行動法案が「違憲」なんて判断は、学者ならずとも誰でもわかることだ。もし、自衛隊 を「軍隊」に格上げし、軍事行動に一定の制限を加えて、わが国の平和と安全を守る、国際平和活動に、「軍隊」を参加させ、併せ、「抑止力」を持たせる、と いうのなら、先ず、初めに、現行の「憲法」を改訂(改悪)してからでなければ許されるものでない。ただし、ここで大事なことは、憲法を改正するのであれ ば、その改正は、自衛隊を軍隊に格上げする、というのが唯一の選択肢では、決してないことだ。もうひとつの選択肢は、わが国のみならず、「軍隊の廃絶」を アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国を含め、世界の全ての国に、「軍隊の廃絶」を主張する「憲法」の改正も対極の選択肢として呈示し、議論すべき だ。日本の憲法のいう、「軍事力の放棄(戦争の放棄)」の大きな欠点は、わが国の軍事力のみを否定し、他国の軍事力に一切言及していないことだ。 憲法の改正は、地球規模の「軍隊廃絶」を視野にしてのものにする方法も私たち、人類にはあるのだということをこの際、高らかに宣言し、すべての国に「憲法」 の改正を呼び掛けるべきだ。核による殺戮は、非人道的であるが故に許されず核軍縮と非拡散を求めるのでなく、化学兵器の使用は、残酷であるが故にその使用 は、許されない、大都市への攻撃は、無差別殺人であるが故に、許されない、戦争は、宣戦布告をもっておこなうべきもの、戦争捕虜は、人道的に扱うべきも の、・・・ 抑止力こそが、平和維持に必要なもの、・・というのでなく、全ての国際紛争は、武力では解決しない、そのために、すべての国は、「軍隊を廃 絶」し、あらゆる国家は、国家を超える新しい「国際機構」を設立し、その調停と和解斡旋、執行により、平和的に国家間の紛争等を解決する、というのが大原 則でなければならない。勿論、「軍隊の廃絶」は、大砲、戦車、戦闘機、潜水艦、航空母艦、ミサイル、大量破壊兵器、ロボット兵器、核兵器、軍事基地、軍事 施設、・・・、のみならず、軍法会議、諜報機関、指揮命令系統、軍事関連法案、・・・、後方組織、軍事予算、・・軍事資本のすべての廃絶を意味します。 「人類の歴史は、戦争の歴史であった。」という愚行を終焉させる人類の英知を示す時代です。 

経済、文化、科学技術、生産分業体制、IT技術がグローバル化し、情報と価値基準が共有化され、すべての国に民度の差はあっても高度化と民主主義が浸透して いる今日の世界、また、枯渇する資源や、国境を超える疾病問題の解決や他国の存続と繁栄を脅かす「教育」や「宗教」の排除などの必要性を考えると、この 「平和と繁栄」の問題をグローバルな視点と西暦2100年の視点で論じることこそが現下の急務です。世界の軍事費は、優に1兆ドル、わが国の軍事費も5兆 円を超える。軍事費で国家を破綻させ、年金、医療の基本業務を放棄させる。国家がこんな無駄遣いと「軍隊」に他国のヒト、モノ、カネと文明を破壊、殺戮す ることをさせていいのか。国家と「軍隊」に何を根拠に、他国の人間への殺人命令権を保持するのか?「積極的平和主義」「集団的自衛権」という欺瞞に私たち は気づくべきでないのか、そして、原点に返った選択肢のなかで大いなる議論をすべきだ、と思う。 
2015年6月4日 (木) 幹事・2015年6月会員メッセージ1  
第7回定例会に向けて皆さんから頂いたメッセージなどを紹介します。 

岸本(速水)さんからメール:こんばんは。ご丁寧なメールありがとうございますm(._.)m。とっても嬉しいです。いつもお世話いただき感謝の気持ちでいっぱいです。月日の流れはホント速いですね。残念ながら今回も旦那の体調がおもわしくなく(退院したばかり)欠席させて頂きます。ご参加の皆様によろしくお伝えくださいませ。今気持ちを入れてしていることは脳トレ教室の宿題作りです。問題集やドリルから選択し作成します。みんなに取り組んでもらえるのが喜びです。ご盛会をお祈りしています。お互い体調に気をつけて元気でいましょうね。 

多田くんより電話:当日はタイのバンコックで商談です。次回は参加したいのでまた連絡して下さい。 
2015年6月3日 (水) 倉田維  
杉原雄先生がお亡くなりになりました。 
昨日(1/21)奥様から寒中お見舞い申し上げます、とハガキを頂きました。その文面を紹介させていただきます。

このたびは年頭のご挨拶をいただきありがとうございました。 
夫 杉原雄 は昨年12月26日に他界いたしました。 
旧年中にお知らせ申し上げるべきものを、 
年を越してしまいました非礼をお許し下さい。 
故人が生前に賜りましたご厚情に深く感謝するとともに、 
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。 
滋賀県東近江市種町** 杉原慧子 

私が人生で最も多く感化された先生で、もし杉原先生と出会っていなかったらたぶん物理を専攻することも教師になることもなかったと思います。先生が旅立たれた日が私の誕生日であられたことも、運命を感じます。神戸大学闘争で教官としてバリケード内におられた先生とお会いして以来、この45年間お会いできなかったのが残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。2015年1月22日 (木) 幹事・会計報告  
2011年の古希の学年同窓会以後のクラスの会計報告をします。 
2011.10/15 積算繰越金(残高):-9,794円 
2012.6/3(第1回定例会)収入(カンパ):2,415円、支出(連絡切手代など):1,620円 残高:-8,999円 
2013.12/1(第4回定例会)収入:0円、       支出(連絡ハガキ代):1,000円 残高:-9,999円 
2014.12/7(第6回定例会)収入(カンパ):5,154円、支出(連絡ハガキ代):1,620円 残高:-6,405円<当日の一人の費用は3,141円でした。4,000円を徴収したおつりをカンパしてもらいました> 
2014.12/7現在の積算繰越金:-6,405円 となっています。(会計:倉田維)2014年12月8日 (月) 幹事:出欠の連絡  
佐藤工業の会長をしている多田君から、秘書の重田さんを通して「変更場所、浅野君の訃報を確認いたしました。12月7日 出席いたします」と参加の返事をもらいました。重田さんの姓が変わっていましたので、「結婚されたのですか?おめでとうございます」と返信しましたら
「私事で恐縮でございます。 ご祝意を頂きまして、誠にありがとうございます。」といただきました。優秀で素敵な会長秘書さんです。

倉田佳くんから電話をもらいました。「当日は地域の役員をしている関係で、その地域の防災訓練が大阪大学で行われるので参加出来ませんが、元気でやっています」とのことです。
メールで欠席の連絡を、西くんから伺っています。

今日、メールで会場変更の案内をした方で、受信連絡を頂けなかった方10人の方に再連絡ハガキを発送しました。 
2014年11月21日 (金) 倉田維:今津さんが亡くなりました  
17日に長瀬(今津)さんのご主人から電話をいただきました。かねてから脳内出血で闘病中だったそうですが4月12日に息を引き取られたそうです。この1年2ヶ月間は意識のない状態だったそうです。ご葬儀には畑田さんが参列して下さいました。 今津さんは私と同じ大阪市立生野中学校の出身で、私の家には電話がなかったので、追高からの電話連絡網で緊急の連絡が回ったときは、15分も歩いたり、自転車で連絡に来てくれました。私が小・中学校の頃、朝日新聞を配っていましたが、その新聞配達店の近くに今津さんのお家があり、障子や襖を作っておられた建具屋さんのお嬢さんで、物腰の穏やかな優しい聡明な方でした。ご冥福をお祈りします。
2014年11月20日 (木) 清川さん:  
定例同窓会のお知らせをありがとうございました。 今回も参加は無理ですが、皆様方が大いに盛り上がり又 楽しい会でありますように、、、、。 浅野くんの訃報は、寂しく残念な気持ちでいっぱいです。 彼の優しい笑顔は忘れられません。 ご冥福をお祈りしたいと思います。 寒くなりましたが、皆さんもお元気でお過ごしくださいね。 
2014年11月20日 (木) 竹内くん:  
何時もご連絡ありがとうございます。 例会には残念ながら出席できません。 (理由)現在地域の老人会連合会の(会員約1000人弱)役員をしており 陶会の例会が毎月第1日曜日のためです。 (近況)相変わらず貧乏暇なしの生活をしております。 豊中市老人憩いの家の役員・上野楽寿会連合会の役員(一番時間がとられる)・公民館のお手伝い等のボランティアと豊中男声合唱団・陶芸・グランドゴルフ等しておりスケジュール管理に苦労しております。 ご出席の皆様によろしくお伝えください。 
2014年11月19日 (水) 竹田くん:  
年と共に同級生が減るのは、他の同窓会でも同じで、だんだん寂しくなります。 会える間に会っておかなければと、12月には出席する予定です。 
2014年11月17日 (月) 平くん:  
いつもご案内ありがとうございます。 当方、遠隔地につき参加叶いませんが、皆さんの楽しい会話を想って 楽しんでおります。 盛会を祈ります。 話題と関係のない話で恐縮ですが、ゴルフでよくハンデキャップなる 言葉を使います。ハンデが肉体的や精神的な障害を意味する言葉から ゴルフのハンデもその延長線と思っていたのですが、それにしても、 何故、disableがhandicapになるのかと奇妙に思っていたら、ハンディ キャップの語源を示す、webがありました。 面白いので、ぶら下げておきます。 お暇な筋は、お読みください。 http://www.snopes.com/language/offense/handicap.asp 
2014年11月17日 (月) 青山くん:  
 いつもお世話を頂きありがとうございます。今回も残念ながら欠席させて頂きます。 
先日、こだわりのゴルフのハンディキャップが12になり かねてから念願のAクラス入りがかないました。同窓会の当日がAクラスで初めての月例になります。 
病気持ちの私が好きなゴルフのレベルアップが出来、私なりに充実感を感じておりまして これからも無理をせずに楽しみたいと思っております. 皆様によろしくお伝えください。 
2014年11月15日 (土) 松居くん  
ご無沙汰していますが、お変わりなくお元気そうで何よりです。 定例同窓会の開催場所変更のご案内、ありがとうございました。 浅野くんのご冥福を心よりお祈りいたします。 
 今回も幹事役を任されている他の会合(毎月開催で早270回 を迎えます。)の忘年会と日が重なり、残念乍ら参加できません。 他にも幾つかの同窓会や、会合の幹事を任されていますが、連 絡の徹底に手をやいています。(メールの場合でもせめて受け取 った旨の連絡をしてくれると良いのですが・・・・・・。 貴兄のご苦労に感謝いたします。 
 参加される皆さんによろしくお伝え下さい。 
2014年11月15日 (土) 福井くん:  
お世話になっています。 定例同総会のご連絡ありがとうございました。 浅野君の訃報に驚いています。ご冥福をお祈りします。 12月7日は、私が主宰する矯正歯科の勉強会に当たっています。 残念ながら出席できません。皆様によろしくお伝えください。 
2014年11月15日 (土) 池田成さん:  
いつもありがとうございます。お世話になっています。 欠席の予定です。 ここ5,6年前から追手門のときの友達と月2回位逢って 楽しい時間を過ごしています。心から笑えるひとときです。学生時代の友人たちって最高ですね。 クラスの皆さんを懐かしく思い出します。 長く長く元気で居てください。 皆さんと逢える日を楽しみにしてます。 近況報告でした。 
2014年11月14日 (金) 内藤さん:  
ご無沙汰しております。 いつものように私は参加できませんが、ご盛会をお祈りします。 浅野さんのことは栗山さんからお聞きしていましたが、奥様からご連絡が あるまではと控えていました。 最期までかっこよく行こうとされたのでしょうか? 私達にとっても残された日々はどれくらいあるか分かりませんが、という 倉田さんのことばが重く響きます。お札に書いています健康長寿の四文字が わが身にふりかかってきました。 残りの人生を大切にしたいと思います。 これからもよろしくお願いいたします。 
 2014年11月10日 (月)