平鋼治/世界平和論

0)〜はじめに〜

少し、古い文章ですが、僕の雑文の一部です。 ご批判乞う(古いので世界人口も少し少ない。今は、75億人?) 

アメリカではトランプ大統領がアメリカファーストをいい、北朝鮮が核装備を強化、我が国では、民進党が自己崩壊して自民党が圧勝、安倍政権が軍備拡充を目論む憲法改正を加速させています。今こそ、私たちが英知を発揮して真の憲法改正とは何か?自己の存在意義を前面に打ち出す、●●ファーストというのが全体の規律と安定を本当に考えているのか?民主主義と立憲主義の中身が本当に人類が目指す内容を反映しているのか?を真剣に考えねばならぬ時と思います。そんな思いを込めて、昔に書いた論文?を引っ張りだしました。なので少しTPOがずれているかも知れませんが言いたいことは長きにわたり一貫し思いは深くなります。 

具体化、実践論にするには、たくさんのスタッフ、資料の収集(論理の裏付け)、メディア対応、組織を維持する巨額の資金が必要ですが、このような考え方こそ国家プロジェクトとして推進してゆくべきものと思います。そんな第一歩に是非なれば・・・ですね。Taira Dec.07,2017 

この論文の目次は以下です。 
1)~世界平和を求めて~ 
2)~世界平和論~第1原則(主権の制限)~ 
3)~世界平和論~第2原則(地球視点からの思考)~ 
4)~世界平和論~第3原則(民意によってのみ制度変更は可能) 
5)~後書き~


 1)~世界平和を求めて~

はじめに 

国家が他国を席捲、軍事力で制覇し、最悪戦争を否定しないという文明、文化の下では、真の平和はない。真の平和を核兵器の廃絶、大量破壊兵器、化学兵器の廃絶、軍事情報の透明化、・・、等に求めるのも、戦争の悲惨さを記録し、語り部を大事にすることも正しいことでない。 

真の平和とは、国家に軍隊の保持を認めず、国家をして軍隊の廃絶をなさしめ、これを国際標準、世界基準とする理念と哲学、そして文明を育てることでしかない。そして、これを可能にするためには、地球規模の軍隊廃絶と地球規模の平和基準、紛争の解決を可能とする国家主権の抑制、制限を可能にする「憲法前文」の採択をすべての国家に要求することが必要ですが、これを可能にするのは、それこそ、地球のすべての国家でこの「憲法前文」の採択を「民主主義」により採択する文化でしか実現できません。 

人類は、多くの犠牲を払いたくさんの英知を勝ち取ってきました。民主主義と平等、博愛もそうですし、更に、科学の発達は、コンピューター、情報技術の革新を得て、大量情報の瞬時の処理と同時共有、更には、すべての人が情報発信を為し得るという相互発信の技術を享受できる時代となりました。 

すべての国家で世界標準、世界規律を大事にし、平和を軍隊の廃絶という形で実現し、例外国家を物理的に排除するという「憲法前文」の採択を可能とする民主主義が漸くIT革命とコンピュータ革命の中で誕生していると思います。 

今こそ、何を、国家に要求するのか?何を国家が実現せねばならぬのか?真の平和と繁栄はどうして生まれるのか?地球規模で解決せねばならぬ問題とは何か?これを実現するためのヒロソフィーとは何か?社会科学は、それこそ実験ができぬもの故に、静かに深く、先ず、思索せねばならないと思います。 

人類に課せられた課題は、たくさんあるのでしょうが、今日、75億人とも、そして、近い将来、95億人に膨れ上がる人類が共存、共栄するための「平和論」を確立することもひとつの大きな課題というより先ずせねばならぬ大事な課題だと思います。 

世界平和論の基本は、 
1)国家主権を制限する 
2)地球視点からの思考を行う 
3)民意によってのみ制度変更は可能 
とせねばならない。 

そして、具体的な理念は、わたしたちが世界の歴史と悲惨さを見つめ、今尚、国家間の紛争が武力による解決を志向する社会と制度の矛盾を見つめ、加えて、環境、気象制御、エネルギー問題等の地球規模の問題解決のためには、現在のナショナリズムの矛盾と限界を思考し、グローバリズムでしか問題を解決しないという発想の転換をなした時にもとめられます。 

国家は思考すべき社会の最大枠であり、神聖不可侵、人類が到達した至高なるものというソブリン主義に対する疑問と誤謬の指摘から論議が開始されねばならないと思います。 

現在社会を持続発展させるべき点は、多々あります。同時に、その社会に対する疑問と不正を内包、承認しているシステムに対する怒りこそが同時に大事にされるべきであります。 

そうでなくては、現在社会の抱える矛盾を思考し、解決策を考えることがないからです。 疑問こそが打開を、怒りこそが知性を、知性こそが理念を与えてくれると思います。 

また、この大きな転換点を必要とする現在の局面では、自らが思考し、判断すべきだと思っています。そして、そのような考えをすることは、傲慢でも何でもなく、むしろ、人間として生命を与えられた、思考能力を与えられた者の責務と思っています。 そして、先人、先哲、既存政党、既存の平和研究団体や如何なる宗教も以上のような考えを示し、容認しておりません。新たに自らが思考し、論理展開を必要とする所以です。 

疑わず、自己を神のしもべに置き、反省をもって神の教えに従うだけでは、新しい世界の平和論は誕生しません。神を否定し、人間の意志で、民意で国家を形成することを是とし、信仰でなく、疑問と怒りと知性で、思索し、理念することこそ真善美とせねばなりません。 

自己の信念を追求しこれを美とし、善として、信念に合わぬことに従うことを悪とすることを必要としています。 

わたしたちの生命は、限られたなかでしかありません。時間も空間も戻りません。だから、有効に使うべきです。既存理論を読書し、他人の思考のなかで生きている時間の余裕は実はあまりありません。 

現在社会の放置、単純な讃美と持続の支持は、ある意味、加害者、悪弊の加担者でしょう。 文字を弄び、耽溺している時間的余裕はあまりありません。あらゆる学問は、世界平和の論理構築に向けねばならないし、グローバルな思考で再構築、再編成されねばなりません。 

遅れればその修復、回復が不能という事態になるかも知れぬからです。

2 )~第1原則(主権の制限)~
   
第一原則の「主権を制限する」の意味は、特定国家の主権を制限することでなく、地球上の全ての国家の主権を制限することでなくてはなりません。でないと「主権の制限」が「主権を制限しない国家」からの攻撃に晒すことになり「主権の制限」が制限した国家の存立の危機を招くからです。国家の安全に、右の頬を打たれれば左の頬を出せ、という論理はありません。国家は、自国民の安全と幸福を追求せねばならぬ道具でもあるからです。「主権の制限」が安全であるのは、当該制限国家のみならず、その国家の存立に影響する諸国家も「主権を制限」しなければ主権の制限の意味がないからです。そして、ここでいう、当該国の関与国とは、現状の世界貿易、偏頗な自然資源の存在、そして、一国が自給自足できない世界経済、文明の関与を考えると、一国の関与国とは、世界の全ての国家を意味します。換言すれば、全ての国家は、他の全ての国家と依存すると同時に対立し、紛争する要素を内包しているといえます。対立は、ある意味、「競争原理」を生み、社会の牽引力ともなりますから対立を一概に否定するものではありませんが、好むと好まざるに拘わらず、主義主張とは関係なく、相互依存は、同時に、物流、交易、文化の往来を意味し、相互理解にもなりますが、同時に対立の原因となります。しかも、そこに民族、文化、歴史、言語の差異があり、国家が必要とする資源が偏頗に、不平等に存するに至っては対立は、ある意味、自然と言えます。 

 地球の裏側の国家は、自国とは無関係である、という時代ではありません。現在、実質210を数える、そして、今後さらに増大する独立国家を考えると、一国の安全は、全ての国家の存立と相互に関与しています。一国の「主権の制限」は、他の全ての国家の「主権の制限」、言い換えれば、「主権の制限」が世界標準となり、しかも、それが世界標準として担保されるときに、「主権の制限」が効果的に機能します。市民社会の個々人が、自らのアイデンティティーを主張し、お互いが尊重し合うのであれば、同時に全体社会、市民社会の規律を個々人が遵守する、そして、そういう社会全体を個々人が護り、育成しなければなりません。社会に必要最小限の強制権を与えて、そのなかで、個々人がお互いの差異を認め、対立ありながらも社会として機能させる個人の権利と義務の関係に似ていると思います。 

多国家の存立は、特定国家の覇権のなかで維持されるのでなく、多国家を超越する中央機関に権能と責任を与えることを自然とします。そして、個々の国家を越える中央機関に求められる権能がどうあらねばならないか、それは、歴史と現実社会が直面している問題点と矛盾を解決するものでなくてはならぬことは、勿論です。歴史を事実の陳列として整理するのでなく、歴史を如何に評価するかです。歴史の評価は多々あるのでしょうが、解決せねばならぬものとして評価せねばならないものの第一点は、「人類の歴史は戦争の歴史である」という人類の破壊と殺人、紛争、欲望を武力で解決してきた、そして、今尚、終止符を打てないでいる、戦争の歴史です。 

武力による制圧、支配、殺人と破壊による侵攻は、都市を破壊し、社会生活に必要な道路、港湾、橋梁、・・等のインフラ、ガス、電気、水道等のライフラインの破壊のみならず個人財産、貴重な文化財、歴史の遺跡も破壊します。そして、何よりも人間が犯してはならない人間の生命を奪取し、殺人を犯します。劣化ウラン弾は、人類の遺伝子(DNA)を破断します。修復を与えることはできません。戦争、武力、軍隊による解決は、侵略された国の人間に憎悪と復讐を与え実は何も解決しないことは、近年の多くの戦争が物語っています。加えて、勝利した国の帰還兵士を折りに犯罪に走らせるのも戦争は人間に回復不能の精神破壊を与えているかを如実に物語っています。戦争遂行、武力維持の防衛費は、現在、世界で1兆ドルを超えると言われます。国家財政を破綻に追いやり、国家が本来なすべき医療、年金、福祉への財政出動を機能不全、麻痺させています。戦争を、殺戮を、破壊を正当化し讃美するに、聖戦、愛国、防衛なる概念を、勇猛、正義なる修辞(レトロ)を本当に信用していいのだろうか?否です。 

 武力こそが否定されるべきです。武力あればこそ、武力を行使し、武力を背景に交渉が先鋭化します。論理が失われ、力が優先します。武力の放棄は、国家を存亡の危機に追いやる、従って、国家から武力を破棄、させることは不可能という筋もいます。武力の廃棄は極めて非現実的というわけです。ですが、この論理は、他国家の武力の廃絶は、不可能ということを前提としています。もうひとつ、武力以外の解決策は、ない、ということを前提としています。前者の他国家武力廃絶は、不可能ではありません。国家の武装は、国家存立の前提でなく、民意により武装が可能だからです。この点については、第三原則、「民意によってのみ制度変更は可能」でも確認しますが、民意を表象する憲法、特に、国家の武装解除については、全ての国家がその旨を憲法前文に謳うことで、国家の武装解除が可能と思っています。また、第一原則の「主権の制限」は、何度も申し上げますが、特定国家を想定していません。全ての国家を対象とすべきと言っております。 

従って、第一原則の「主権の制限」の最大のものは、国家の武装解除であらねばなりません。国家をして戦争と破壊行為をせしめないためには、戦争を防衛戦争に限定するとか、先制攻撃に制限を設けるとか、核兵器の保持、不保持、ミサイルの到達距離、能力の問題でも、細菌兵器、化学兵器、ロボット兵器等の兵器の機種の問題でも、シビリアンコントロールの問題でも、プロ軍人、国民皆兵制の問題でもなく、武力そのものを否定することでなければなりません。戦争能力を根こそぎ奪うためには、武装解除しかないからです。軍隊と武装なければ、紛争を解決するには、平和的交渉しかなく、交渉に一定の終止符を打つためには、有効な裁定機関、和解機関を、一定の権能をもった中央機関を考えざるを得ないし、この方法でしか解決策はないでしょう。 

そして、ここでいう武力、軍隊なる語は、対外的な武力、軍隊に関連するあらゆるものを包含し、一切の例外を認めてはならぬ、と思っています。ただし、警察や治安等、主権の範囲で執行される「力」を含みません。それらの「力」は、自浄機能を持ちますし、主権者の意志でその機能を調整できるからです。その意味では、「主権の制限」は、アナーキズムを意味しません。 

また、第一原則の「主権を制限する」の意味は、「主権を超える超国家機関の承認、執行権の付与」でもあります。承認は、同時に各国家に超国家機関(中央機関)の執行権を可能とする財政的基盤、人的支援、物的支援を行うことを意味し、執行権は、「世界標準」に従わない数少ない「例外国」の排除、矯正と放置すれば時間的に修復不能となるであろう事項についての強制力を与える、ことを意味しなければなりません。この強制力の対象となる事項は、出来るだけ限定すべきです。限定することが各国の独自性を生み、多様性がいい意味での競争原理を生むからです。ですが、そのような少数の限定事項の先ず、第一は、各国の「武装解除、軍隊の解体、軍事組織の抹消」であることは論を待ちません。 

勿論、地球規模の環境問題、気象制御問題、エネルギー問題もその対象になります。武装解除以外の項目は、第二原則、「地球視点からの思考を行う」で論述します。 

国家主権の制限とは、換言すれば、国権を超える中央機関の存立を支援、育成、承認し、全ての国家は、この中央機関(以下、「地球国家機構」と仮称)に国家間の紛争、衝突の和解、裁定を委任し、その決定に従う、ことを意味します。 

地球上にある全ての国家の主権の及ぶ範囲は、国際的に承認された自国の領土、国民に関わる司法、行政、立法権と通貨発行権や徴税権、治安の維持等の国民経済と国家運営に制限され、主権を超える他国の領土、国民の平和的存立に脅威となるような一切の行動、国家間の紛争と衝突を武力解決する権利を認めない、武力解決を目的とする一切の軍事力、武力の保有を容認せず、軍隊の解散と武装解除の義務をもつことを意味します。この結果、「地球国家機構」の権能とは、全ての国家に武装解除を迫り、武力による覇権主義、帝国主義、膨張主義、武力解決志向を認めない、そして、これら原則に逸脱する国家ありとすれば、「地球国家機構」が「武装解除軍」を武装国家に派遣し、国家の武装解除を迫ることを意味しますし、全ての国家は、「地球国家機構」のこのような行動を資金面からも人的側面でも援助する義務を有するということを意味します。 

国家は存立するが武装解除し、全ての国家が承認する「地球国家機構」を擁する「世界国家連邦」は、(全ての国家が望めば)西暦2050年から2060年には、建設されるでしょう。そして、ここで言う、「地球国家機構」の権能と各国家の主権の制限とはその意味で同義となりますが、「地球国家機構」の権能について整理すると以下の如しとなります。そして、また、「地球国家機構」の権能が各国家の権能と重複し、非効率となる段階(西暦2100年頃と予想)では、「地球国家機構」は、「地球国家」に承継され、司法、行政、立法、通貨発行権、徴税権を「地球国家」は、統合し、全ての国家は、地球国家からの分権制度のなかで地域社会として独自性をもって存続するでしょう。 

・国家は国際紛争を武力解決してはならず、平和解決せねばならない。当時国同士での解決が不可能、不首尾の場合は、独立した「地球国家機構」にその裁定を依頼せねばならず、「地球国家機構」の裁定には、従うものとする。 
・国家は武装解除せねばならない。その対象は、軍隊の廃絶、軍事基地の閉鎖、核兵器、ミサイル、航空機、戦車、空母、巡洋艦、軍事衛星、巨大兵器の廃棄処分、諜報機関の廃止、戦略、戦術本部の解散、兵器開発の中止、軍事法廷の閉鎖、軍法、軍事関連法律の破棄・・・等対外攻撃、対外防衛に関連するあらゆる火器、基地、施設、組織、研究機関、諜報機関、法体系、・・等一切のもの 
・国家は軍事予算を要求してはならない 
・国家は国際紛争を武力解決してはならない 
・国家は国際紛争を当事国の間で平和的に解決せねばならず一定期間で合意に達しなければ、国権を越える「地球国家機構」にその和解、調停、裁決を仰がねばならず、「地球国家機構」の裁決に遵守する義務をもつ 

国家に軍事予算を与えず、軍事資本を認めず、兵器開発を認めない、軍事法廷を含む軍事関連立法を認めない、国家を武力で守る・他国を軍事支配する・戦争を讃美する教育はさせない、世界の全ての国家から軍隊を廃絶させる強制力をもった「地球国家機構」・軍隊廃絶を監視する「地球国家機構」への人的、財政的支援を行う、国際紛争を平和的に、武力以外で解決する方法を模索する国家、そして、これらを裁定する「地球国家機構」を支援する国家を志向することを意味します。 

そして、主権の制限とは 
・他国家の存立を容認する 
・他国家との共存を容認せねばならない 
・他国家の繁栄と安定を希求する 
・他国家への攻撃は、主権の範囲とする教育は、しない、させない 
・国家の防衛は、愛国は、平和的に解決する義務をもつ 
・武装攻撃、武装防衛を認めない 
・国家財政を対外攻撃、対外防衛を意図する武力整備には費消しない。軍事予算を承認しない。 
・武装解除、地球規模の環境、気象制御、エネルギー、教育等の問題については、主権を超える「地球国家機構」の創立、存続、維持、発展を承認し、全ての国家は、「地球国家機構」に対し人的、物的、財政的支援、拠出をしなければならず、「地球国家機構」の和解、調停、裁定に対しては、これを遵守する義務をもつ 等を意味しなければなりません。 

同時に、このことは、覇権主義、帝国主義、膨張主義を認めず、また、一国主義、ソブリン主義、数多くの武力連合構想を否定することを意味します。さらには、第二次世界大戦の戦勝国の武力体制と維持を基本理念とする、現在の国連の機能を特定国家の支配体制の支援体制と認定し、否定しますし、地域防衛、他地域との対立、武力防衛を基本的に承認するEU、AU等の地域連合を次代の体制とは承認しません。新たなる「地球国家機構」とは、国家が主権を制限したなかで、武力を廃絶、地球規模の問題を科学的に統一的プランで実施してゆく機関・機構でなくてはならず、このような新たな中央機関・中央機構の設立なくしては、人類の幾多の課題は、解決しないということを意味しています。 新たなる概念が全世界、全ての国家の民意として確立されねばなりません。
3)~第2原則(地球視点からの思考)~
   
国家の存在を自国の視点からだけで見るべきではない。国家の存在を他国との力のバランス、攻撃を前提として防衛と反撃を考慮すべきものとして考える必要は、視点さえ変えれば全く必要のないこと。全ての国家は、地球大の国家には、なり得ない。それ故に、全ての国家は、地球大問題を一国では、解決し得ない。覇権を求め、他国を支配し、主権を延長、拡大することでは、世界全体の問題は、解決できず、一国の存立は、永遠に不安定となる。だからこそ、地球規模をもった国権を超える、中央機関の存立をすべての国家は承認せねばならず、当該、中央機関をやがて「地球国家」が承継せねばならない、と提唱する。国権は、制限されて始めて安定する。そして、地球規模の問題の解決と、全ての国家の独立と繁栄、自主性と安定を保証するものは、国権を超えた新たな中央機関を全ての国家の民意で形成し、そして、全ての国家が、中央機関を承継する「地球国家」の地域国家として、地域社会として分権され、保障されるときに始めて平和的な存立の保障がされる。国家を平和的に武装解除できる。中央機関、やがては、「地球国家」が取り組むべき課題は、即ち、人類の課題となるであろう。 

地球視点から取り組まれる課題とは、以下のようなものである。 

1. 国際紛争、調停、和解機関の創設と充実
武装解除しても紛争の原因がなくなったわけでない。従って、国家間の調停、和解機関の充実こそが必要である。その意味で、戦争の原因となる事柄がその和解、調停の対象となろう。国境線の画定、領土・領海の画定、領空の範囲、越境行為、領土進入、領海・領空侵犯、違法移民・違法入国、天然ガス・石油の奪取・盗掘、発明・発見等の開発権益の侵害、音楽・著作物・特許等の知的財産権の侵害、・・・・等である。そして、調停事項に対し強制権を付与するものとし従わない場合は、各種の罰則金や制裁を課すことができるようにし、実効力を付与するものとしなければならない。 

2. 各国の治安維持の補強、補完活動の充実
国際的テロ組織の存在、掃蕩、撲滅は国家の治安権のなかで処理されねばならないが、もし、治安権の維持に障害あるとすれば治安組織の補充、拡充に超国家機関が梃入れし、各国の治安権を強化する。テロ組織の存在をもって国家に外国が戦闘行為を仕掛けるという愚は、避けねばならない。各国の治安維持の問題は、各国固有の責任で処理されねばなないが、もし、充分な治安維持が確保されないときには、他国の治安にも直結する問題だけに、その回避のために、「超越機関」は、必要に応じ、各国の要請を受けて、治安強化部隊を派遣する。ただし、その権能は限定すべきである。派遣部隊は、各国の中央機関を側面的に援助する、もしくは、機能的に稼動しているか等の監視機能をもつものに限定すべきである。そして、要員は、「超越機関」が確保しなければならない。 

3. 武装解除軍の派遣
具体的には、各国は、先ず、地球憲章を各国の憲法で承認決議し、あらゆる国が全て承認決議するまでは、各国の軍隊を世界国家連邦軍(仮称)の指揮下に治め、非承認国への武装解除軍として機能せしめる。但し、各国の軍隊の先行解体、武装解除を妨げない。各国の武装解除のタイミングについては、第三原則での民意の表現の仕方、具体的には、「憲法前文」草案で提唱します。 

4. 地球環境の破壊防止、維持、制御への取り組みの統一プランの策定と実施を行う
全地球的な環境保護、保全、維持、制御の統一プランの策定を行い、各国には、世界国家連邦を構成する一国(後には、地球国家を構成する一行政区)として支援、参画することを要請する。これにより、廃材処理等の各国独自の問題と周辺諸国に及ぼす影響、対策をより実効あるものにするだろう。環境問題は、超国家機関が単独で行うのでなく、一部を超国家機関が行い(各国の拠出金で行う事業)、一部を各国の責任で行う、若しくは、参画する、連携して行うことにより実効を挙げれると思う。対象となる事業は、以下が含まれるべきであろう。 

オゾン層破壊防止、大洋潮流の異常化防止、ダイオキシン、二酸化炭素からの大気保全、フロンガス、二酸化炭素の排出規制、温暖化対策、気象制御、地震情報の収集、台風、津波対策、大洋制御、深層海流対策、海面水位の上昇対策、世界の森林資源の保全、漁業資源の確保、絶滅の危機にある動植物の保護、貴重動物の保護、原子力潜水艦の掃討・引き揚げ、汚染地上原子炉の閉鎖、核実験による汚染土壌・物質の撤去、原子炉の廃棄物処理、大洋・大河川の水質保全、環境監視施設の整備・・・・等 

5. 過去の戦争による被害の復興を行う
地雷の撤去、掃蕩。道路、港湾、橋梁等社会インフラの復興、整備。ガス、水道、電力等の社会のライフラインの復興、整備。戦死者の遺族の救済、傷害者、障害者の救済。劣化ウラン弾による劣悪遺伝子からの救済。破壊された文化遺産の回復を支援する。 

6. 石化エネルギーに代替するエネルギーの開発を行う
枯渇する石化エネルギー対策を行う。具体的には、太陽エネルギー、地熱、核を利用した原子力発電等の開発を推進する。各国に情報提供、公開を要求し、専門家と科学者の派遣を要請し、緊喫の問題として取り組む。 

7. 経済格差、貧困の追放、世界経済の発展と拡大を志向する
飢餓と貧困、文盲の追放と教育の普及、格差の是正と国内経済の育成のための「基金」からの資金提供、人材派遣、国内機関の充実の援助、指導、適切な国内経済、労働市場の保護のための関税障壁の承認、輸入制限の承認の一方、過度の防衛に走る国には、世界経済の拡大・発展、物流の確保のためにも自由貿易、関税の撤廃を指導、勧告する。 

8. 地球国家憲章の深耕「地球国家憲章」の策定(案)と掘り下げを行う。
地球国家における理念、目標、予算、統制府等についての詳細、補完しなければならない項目の深耕、自治権の範囲、通貨を含む統一基準の策定、統一立法、統一司法、・・・・・・・の策定等を行う。要員の確保、研究要員の雇用と確保、必要経費の確保がされねばならない。 


・地域国家の独立は、民族、文化、地域等により否定されるものでない。同時に、(地域)国家の独立の自由と、地球規模の平和、共存、繁栄、文明の確保、敷衍を執行、管理する機構(将来的には「地球国家」)への人的、資金的、物的負担の義務もあることを明確にせねばならないし、そうでなければ破綻国家、偏向国家、例外国家の排除もできなくなる。独立の自由は、同時に全体への義務もあり義務を遵守できぬ国家は、自由も勝ち取れないことを明確にする必要があるので念のため追加しておきたく思います。(2017.11.3) 

等である。国家を対立するものとして、国家を社会の最大枠とする一国主義から生まれた「国際的」なる視点では、問題を根源的には解決しない。「地球視点からの思考」のみが「地球規模」の問題、世界の全ての国家の平和と繁栄を解決する。「インターナショナル」から「グローバル」への視点が確保されねばならない。Taira Dec.09,2017
4)~第3原則(民意によってのみ制度変更は可能)
   
 人類は多くの犠牲を払って今、民主主義を勝ち得た。民主主義とは過半数の意見、意思表示が全体を制し、執行権を与えられるために、時として、多数者の横暴、権利の乱用の被害、格差の拡大、矛盾の制度的承認等の多くの弊害あるとしても、この民主主義の大枠こそが堅固に見え、修正不能に見える武装国家論、国家を社会の最大枠とし、国家に命令する如何なるものも存在しないとする一国主義、国家至上・崇高主義、ソブリン主義を転覆できるであろう。決して、暴力革命もクーデターでもない、民主主義の下、民意形成という形で制度、社会の仕組みを変更してゆかねばならないし、この方法しかない。具体的には、国家の行動を規範する「憲法前文」に新たなる理念と少なくとも西暦2100年に及ぶ国家の基本的な行動原則を高らかに謳わねばならない。新たなる理念を全ての国家の民意に、全ての国家の「憲法前文」に採択されるよう勇気をもって敷衍しなければならない。そして、ごく例外的にそうでない少数の国家が現れるとするならば、「中央機関」が強制的に採択を迫る手続きをとってでも、敷衍されねばならない。小数の例外国家の存在で多数の国家が目指す、「平和」を破壊されないためにもである。 

制度の変更、社会システムの変更は、祈るだけでは、願うだけでは、そして、他人任せでは、一切実現しない。受動的では、何も解決しない。放置して、時が立てば自律的に修復されているものでもない。天才と指導者に任せておけばいいというものでもない。すべては、議論し、修正し、そして、民意とし憲法の前文の形として表さねば何の効力もない。国家を方向性をもって動かし得るものは、文学でも、エッセイでも、報道でも、メディアでもなく、キチンとして理念と行動計画を示唆する、民意を表象する憲法前文の策定でしかない。民意が制度を、社会システムを動かす。それが故に、民意とは、この世の最大の権力でるが、同時に責任も重い。充分に世界規律を、世界標準を構成するものか、また、向こう100年の方向性を確保しているかが吟味されねばならない。付和雷同、表面的な劇場型政治、指導者礼賛、専門家任せ、無関心は、排されねばならない。弱小国、格差の影に埋もれる国家、発展途上国、新規独立国にも公平性と参画性が確保されているかが吟味されねばならない。 ?すべての国家に民意によって、採択されるべき具体的な、「憲法前文」は、以下のようなものになるであろう。 

(憲法の前文)   わたしたち、●●●国民は、国家の主権は民意にあること、そしてその改廃も民意にあることを確認する。  

 わが国並びに全ての恒久平和と繁栄は、世界の恒久の平和と繁栄により実現できるものであることを確認し、“地球上の全人類の幸福と繁栄、経済・科学・文化の世界すみずみまでの発展と繁栄、枯渇に向かう地球資源の有効活用と劣化する地球環境の保護・保全、戦争なき恒久の世界平和を希求し、地球規模の視点に立って、各国は、『地球国家』を建設する。各国は、『地球国家』を構成する地域社会となり、国権を表象する軍隊および軍隊を統帥する組織を保持しない。 

 『地球国家』建設の目途を西暦2100年とし、その最終段階では、司法、行政、立法、貨幣制度等社会を規範する制度を統一するものとする。ただし、それまでの期間は、『地球国家』の前段階の『世界国家連邦』とし、各国は、武装解除し、軍隊及び軍事力に関連するあらゆる組織を解体して、『世界国家連邦』を構成する連邦国家となり、既存の立憲制度、法律体系、行政制度、司法制度を維持、改廃する国権を有するものとする(軍隊なき連邦国家)。また、『世界国家連邦』は、「武装解除軍」を組成し各国の武装解除を円滑に確実に促進するものとする。”を『地球国家憲章』として高らかに採択する。 

 わたしたちは、『地球国家憲章』を実現することが人類が地球規模で文化、科学と経済の恩恵を享受し、平和と繁栄のうちに生存し、人類がひとしく恐怖から免れ、「人類の歴史は戦争の歴史であった」悲惨な過去と決別する人類の英知であることを確認する。 

 わたしたちは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないし、いずれの国家も地球規模での、全人類の繁栄と平和を希求する義務をもつものと考え、いずれの国家も『地球国家憲章』を採択することを要求する。 

 わたしたちは、平和を希求し、戦争と破壊、殺戮に従事する軍隊並びに人類を破滅に追いやるあらゆる軍事物質・軍事施設をこの地上から永遠に除去しようと努める国際社会と『地球国家』において名誉ある地位を占めたいと思う。 

 (A)そして、わたしたちは、わが国の軍隊の廃絶を即刻実施することをここに宣言する。 
 (B)ただし、わたしたちは、軍隊の廃絶については、周辺各国の動向を慎重に見極めその実質的な脅威がなくなった時点で廃絶すべきと考え、わが国の軍隊を『世界国家連邦』傘下の「武装解除軍」に寄託し、各国の武装解除が確認された後に、わが国に召還し、これを解体、除隊するものとすることをここに宣言する。 

注:   なお、●●●に国名を明示し、(A)(B)については、各国の民意がこれを選択する。 

 そして、今日のメディア革命、コンピュータ革命、通信革命は、(価値観さえ統一すれば)大量のデータを一瞬の内に処理し、伝達することが可能となった。そして、何よりも重大なことは、通信手段は、発信者からの一方通行でなく、受信者も発信者に意見を投げ返せるというシステムに切り替わっている双方向の時代となっている。言語の違いは、コンピュータにより自国語、若しくは、世界標準の言語に変換をもたらし、意思伝達に障害でなくなりつつある。異文化、異言語、他国家、他地域の画像を含む情報もTV、ラジオ、メール、その他の通信手段を通じて伝達、返信される時代になった。確かに、歴史、文化、言語が異なるとしてもそれが無理解、偏見と対立、敵対をもたらすのでなく、相互理解、尊重と調和、共存の世界を導きつつある。この「憲法前文」の対象は、全世界の66億の人々を対象にしています。対象が広範囲であるが故に、そして、各個人の個性が多様であるが故に、このような考えは、不可能として、最初から切り捨てる人もいる。 

 確かに、狂信的国粋主義者、軍需産業に利権を置く軍事資本、国権を最高、崇高とし、主権の制限を国権の毀損と考える官僚体制に生活基盤を置く人、国権を擁護し国権から地方への利益誘導にしか理念のない政治家、そして、深く考えず指導者を讃美、礼賛する多くの人々、政治に活路を見出さず宗教に埋没する人たち、・・を考えると、72億の全ての人たちの同意を得る、理念、思想は、絶望です。ですが、民主主義による民意形成は、必ずしも、72億人を対象にするから、72億人の全ての同意が必要とは、なりません。多くの国での同意が必要ですが、ここでいう「多くの国で」の意味は、実効性を考えると「過半の国家で」ですが、その過半の国家で、多くの人々の同意が必要ですが、この場合の「多くの人々の」意も、その国の、「過半の人々」が同意すれば、そのとき、世界の民意となり、具体的に動きます。可能です。そして、これを、助けるのは、間違いなくメディアでしょう。メディアは、既に、グロバールな世界を創っています。そして、メディア自体は、単なる道具ですが、この道具を生きた媒体とするのが、考える「理念」だと思っています。 

 72億人の民意にすることは、決して不可能とは思えません。可能です。既存政党、既存集団に属さず、軍需利権に生活と思想に基盤を置かない、私たち無党派の人間が、普通の人たちが民主主義的手続きを踏み思いを形にすれば、可能なことだと思います。
5 ~後書き~
   

(詩)
深く静かに考える 
星屑のような出来事からひとつの真実をみつけだす 
無造作にある違った方角に向かう 
そんな乱雑にもやはり法則がある 
人、それぞれに違った定義があるのだろうけど 
すべては、「幸せ」を求めて彷徨する 
永遠に 

戦争がないこと それは、祈ることではありません 
それは、知恵を発揮すること
です 

戦争がないこと
それはお願いすること
ではありません 
それは、あなたが決めること
です 

戦争がないこと
それは夢みること
ではありません 
それは反対すること
です 

戦争がないこと
それは起こさないこと
ではありません 
それは軍隊をなくすこと
です 

(超国家機関の権能)
各国の主権を制限させねば新しい世界のフレームワークは機能しない。同時に、混乱と無政府状態は、避けねばならない。世界は、多様である。民族、文化、言語、経済、宗教等全てが異なる。資源の埋蔵、存在も歪である。経済、文化の発展の恩恵を受けて世界の全ての人たちの生活水準が上がり文化的生活が可能になったのは、経済、文化、物流、決済、通貨制度が地球大の規模で拡大と交流を果たしてくれるからである。一国の利害で全てが調整されてはいけないし、また、できるものではない。地球大の視点にたった利害関係の調整が円満に円滑になされねばならない。 

そして、そのためには、その前段階における世界連邦国家を超える機関(超国家機関、若しくは、「地球国家機構」(仮称))の権能を明確にすべきである。異民族、異文化、異なった言語、異なった宗教、国境線の存在、鉱物資源、漁業資源、エネルギー資源の不均等存在、水準の違う経済発展の下における「地球国家機構」(仮称)の権能を人類の英知をもって明確にすべきである。 

(民意)
民意を形にするのは民主主義でしかない。そして、民意は国家単位で集約されねばならない。さもなければ実効性がない。そして、その視点は、主権を制限した、地球規模でなければならない。一挙には、国家の枠を壊すわけにはいかない。この三つの原則は、グローバルな視点をもった国家単位主義(修正されたナショナリズム、地球規模の視点をもった国民国家主義)を提唱しております。 

国民国家の枠組みに限界(4/28/2008付「朝日新聞」)があるから、「国民国家」に基盤を置く、民主主義では、政治のグローバル化は無理だという考えには同意できない。むしろ、民主主義が「国家」に根を置くほうが平和的に世界の枠組みを容易に変換できる。現在の民主主義に足りないのは、視点を大きくもつこと、主権を制限して国家は存立すべき、との理念の欠如だけである。グローバル化が必要だから、現在の民主主義は、否定されるべきという考えは、むしろ非現実的対応と僕は思っています。 

近代政治の基本は、民意による政治。その弊害も大きいが、その他の方法の弊害はもっと大きい。弊害を最小にするためには、立法とその執行(行政)、その判断(司法)に、人任せ、専門家任せ、指導者に依存でなく、私たち全員が、判断し、行動せねばならない。民主主義を意味あるものにするためにも、無関心、無知は許されない。祈る、希望する、では、依然、あしき制度に対する、加担者、加害者であることに注意せねばならない。 

国家単位の民意の集約、主権を制限し、地球規模で発想する視点の三つの原則が、維持されるなら、世界の全ての国家から軍隊を廃絶させ、温暖化を含む環境問題、国家と国境を越える気象制御問題、国家経済を牽引するエネルギー問題、将来の価値観を左右するであろう教育問題、現実的な治安問題、・・の地球的規模を持った理念、行動計画の策定と実現を可能にするだろう。国家予算から軍事予算を追放し、財政は、真の民生に振り向けられるであろう。全ての、国家に、すべての民意に今こそ「三原則」を訴える意味ある時代は、ない。 そして、これを可能にするのは、わたしたちと新しいメディアであろう。 

そして、今、私たちは、そのような改革を可能にできる時代に生きている。冷静に大胆に、知性と情熱をもって立ち向かわねばならない。 <以上>Taira Dec.09,2017