中川 貴先生が今春に亡くなっていました 倉田維

この12月15日に、藤原君から、中川先生が今春に亡くなっていたことを教えてもらいました。
彼がそれを知ったのは次のような偶然からでした。
「15日に千葉の友人と大阪街中散歩をしてきましたが、三島(秋武)啓子さん(私たちより2年後輩の11期生、政経部員・演劇部員)の経営する「楓ギャラリー」(画廊、谷町6丁目にあります)の近くまで行きましたので、ちょっとお邪魔していろいろと話を聞いてきました。中川先生は今年の春に亡くなられそうですね。知りませんでした。」とのことです。
 追高で中川先生と社会科の教師として同僚であった私の嫁さんに確かめましたが、知らなかったそうです。来年の3月か4月に学年の同窓会を開催することになっていて、お会いできるのを楽しみにしていました。私らを担当していただいた学年団の先生方は、中川先生を御最後に全員が亡くなられたのではないかと思います。
 先生の冥福を心よりお祈りします。
 毎年先生に年賀状をお送りしていましたが、今年に先生から戴いたご返事を紹介させていただきます。これが先生との最期の通信になりました。私たちが高校に入学したときに先生が当時30歳とすれば、95才前後で亡くなられたようです。
「賀状有難う
 歳はとりたく無いもので、社会に対する関心が極度に減りました。
 対人関係の減少がそれに拍車をかけています。
 今は己の事のみ、コロナだろうと森友だろうと、矢でも鉄砲でも持って来い、
 とは些か脳天気な此頃です。
   2022元旦 中川 貴」

 80歳にもなると親しかった方が亡くなる報に接するすることが多くなりますが、気弱にならないで、趣味も友人も一杯持って、心豊かに生きていきたいものです。3月か4月に開催する傘寿同窓会でお会いできるのを楽しみにしています。
今、私たちの3年先輩の金一浩司さんから、先生の葬儀などについてお知らせを戴きました。
「中川先生ご逝去は5月17日で19日通夜、20日葬儀で、お近くの玉泉院で長男喪主にて執りおこなわれました。遺骨は奥様とご一緒に四條畷のお墓に埋葬されたはずです。取りあえずのご報告です」(2022.12.27)