2018.12.07までのメッセージ

 2018年12月7日(金)
[名前] :   幹事
[タイトル] :   河井君逝去の報で頂いたメッセージを紹介させて頂きます
[話題] :    
出羽:倉田様 皆々様 メール見て驚きました。 河井君の死を悼みご冥福を祈りましょう
喜寿を迎えたのは、めでたいことですが、死期が近づいているのも現実です。
お互いに誤嚥やインフルエンザによる肺炎などに用心しましょう。 

藤原:ご連絡頂き有難うございました。
まさかのまさか、信じられない思いです。あの頑丈なスポーツマンの河井さんが、、、。
何か病気をされていて、誤嚥性肺炎でも併発されたのでしょうか?それにしても「肺炎」とは・・・。
彼は尊敬すべき人でした。早熟の彼から常に刺激を受けていました。卒業後も会社によく顔を見せてくれ、検査薬のビジネスの話をしたり、天満橋で待ち合わせて亀さん(先輩の亀山さん)も加わって、政治経済社会問題についていろんな議論をしたりしました。いろんな本を読んでいて、常に何か面白い本を紹介してくれました。
退職後もメールでよく意見交換をしましたが、2001年の「911テロ」を巡っては、意見を異にし、以来次第に疎遠になっていったのが、心から悔やまれます。
何れ真相が明らかになれば分かりあえるという期待もむなしく17年たち、彼が先に往ってしまいました。残念でなりません。言葉を失います。
過ぎ去った日々を思い返しつつ、今は冥福を祈るしかありません。

平岡(内藤):河井さん、陸上部でしたね。池田さんと仲良しでしたね。
河井さんの字を間違えてごめんなさい。
私たちもいつお迎えが来るかわかりません。それまで一所懸命生きるように つとめたいです。
河井さんのご冥福をお祈りいたします。
あの人もこの人も逝く年の暮れ喪中はがきの数に驚く 禮子
かの地では再会よろこび賑やかに次はだれかと待ち望みおり 禮子

   2018年11月30日
[名前] :   多田君の秘書の伊藤さん
[タイトル] :   出席します
[話題] :   倉田様
いつも大変お世話になっております。 ご連絡が遅くなりまして申し訳ありません。
弊社 会長の多田ですが、出席をさせて頂きますので宜しくお願い申し上げます。
今年は温暖化の影響か、あまり冬らしい空気を感じないまま12月に入りそうですが、急な気温の変化に体調など崩されませんように、何卒ご自愛くださいますよう、お祈り申し上げます。
今後とも何卒、宜しくお願い申し上げます。
   2018年11月30日
[名前] :   芹生(森下)
[タイトル] :   近況など
[話題] :   倉田さま 皆様
12月定例会のお知らせ、有り難うございます。
出席したことがなく申し訳ありません。今回はゴスペルの練習で失礼いたします。
追高3年1組には小中からの方、特待生の方、高校から入った方がいました。
私は高校からですが、今更ながらクラスの良さを感じています。
倉田さんが編集して下さった文集や、ホームページに寄せられる文章のお陰です。
明日から師走です。どうかお元気でお過ごし下さい。
   2018年11月29日
[名前] :   松居
[タイトル] :   近況など
[話題] :   倉田さん
いつもお世話になりありがとうございます。
他に何かの用事があると帰阪も簡単なのですが、なかなか時期が合わずご無沙汰続きになっています。
 今年も11月24~25日は京都で従兄の法事、12月2日は豊中で弟の法事があり、出かけてはいるのですが上手くペースが合いません。
 申し訳ありませんが、今年も欠席させて頂きます。
尚、ホームページの件、喜寿同窓会の件は今回参加される皆さんのご判断にお任せ致します。
還暦前から小学校入学時(豊中)のクラス会を再開しており、最近では2年毎に先生を含め15~20人が集まっています。こちらは東京にいながら暫く幹事をしていた経緯もあり、毎回参加しています。
 幹事さんの手間を考えると、学年全体でなく1組の記念クラス会の方が楽かも知れませんね。
参加される皆さんに、宜しくお伝え下さい。
 返事が遅くなってゴメンナサイ。
   2018年11月27日
[名前] :   青山
[タイトル] :   近況など
[話題] :   
倉田さん お世話をかけありがとうございます、今回も所用の為 参加出来ず申し訳ありません。
久しぶりに皆さんとお会いできるのを楽しみにしておりましたが残念です。
現在、私は600所帯を抱える町会の区長と会計を担当、来年度より分区に備えて雑用に振り 回されておりますが、残された貴重な日々を充実した気持ちで過ごせるよう自分なりに努力したいと思っております。
 次回、皆さんとの再会を楽しみにしております。
   2018年11月26日
[名前] :   平
[タイトル] :   近況など
[話題] :   倉田さん
いつもほんとうにありがとうございます
12月2日の定例会には残念ながら参加できませんが皆さんの楽しい笑顔が 浮かびます
HP、何とか維持できればいいですね
折角の記念碑でもありますので・・
小生の近況は、何の変哲もありません
ゴルフは、相変わらず下手ですが、練習場でのボールの打数の記録だけが EXCELLに残っていて、これが近々というか年内には、(2003年以降の 16年間ですが)、何と70万発になります。
こんな、ヘンテコな記録を付けている人はどこにもおられないでしょうが
多分、付けているとしても、この数字は、大変な数字だと自分でも少し 吃驚です。
世界平和論(地球規模での軍隊廃絶を可能にする地球国家論)については もう一度、執筆する元気が出てくればいいと思いますが、多分、難しい でしょうね。
焦らず、ゆっくり考えてみるつもりです。
定例会の盛会を祈ります
   2018年11月26日
[名前] :   平岡(内藤)
[タイトル] :   近況など
[話題] :   倉田さん
いつもお世話になります。ホームページもありがとうございました。
12月2日 一組の皆さんで今後のことを決めていただきたいです。
皆さん おひさしぶりです。
喜寿同窓会の件 相変わらずの貧乏ひまなしでお役に立てません。
申し訳ありませんが、皆さんでよろしくお願いいたします。
私は大腿骨の手術後 車が足がわり、今も毎日学校に出ています。
若い人たちに接して気持ちは元気ですが、体は老朽化
お寺の寺務も色々あり、しんどいという暇がありません。
やれるところまでやらねば と体に言い聞かせてます。
メール参加はできますので、またメールください。
   2018年11月25日
[名前] :   出羽
[タイトル] :   参加します
[話題] :   倉田君
 いつもながらお世話様です。
ホームページや喜寿同窓会など課題がありますね。
12/2は、空いているので参加いたします。
   2018年10月17日
[名前] :   Taira
[タイトル] :   ホームページ閉鎖について
[話題] :    倉田さん 
ほんとうに長い間、面倒をみていただいてありがとうございます。 HPの閉鎖は、なんとも残念です
何とか維持できぬかとおもいますが費用負担の問題もありますからね (公平に負担する方法が見当たりません) 
残念ながら、HPへの書き込みも少なく、閉鎖も時の流れかも知れないと 思いますが、まったく跡形もなくなるのはやはり淋しく何かを残せぬかと ・・ 
思い付きで申し訳ないのですが、倉田さんのブログを作っていただき、 ひとつのコーナーに追高のページを設定いただき、参加者が投稿できるような ことできないか?と思います。 
ブログは、無料で開設できるものがあると思いますので・・ 
今のHPで、僕は阿部君のこと知り、彼を訪問することもできました。 ほんとうに感謝しています。
遠方ですし、同窓会には、余り出れませんでしたがやはり昔の友と 会えるというのは、ほんとうに有難いことだと思いました 
結果は、どうなるかわかりませんが、本当に感謝、感謝です 

2018年10月17日
[名前] :   池田勝
[タイトル] :   1組ホームページと定例同窓会について
[話題] :    倉田幹事殿
10年以上もクラスのホームページを管理頂き、感謝の気持ちあるのみです。
私も時々交信の場として利用させていただくことで、親交が深まったことを有難く思っています。 私は当初、利用頻度がかなり高いと思っていたのですが、意に反して発信者は少なく、倉田幹事の情報のアナウンスを除けば、平君、カッパさん、竹田君で90%超を占める現状です。(時折、平岡さん)
この度、現行のままでは続けられないとのことですので、ひとまず休止してはいかがかと思います。 費用の分担もありますし、何より、残念乍らこのホームページの価値があまり評価されていないように思うからです。 

ついでに、別件ですが、定例のクラス会についてです。 年2回、決められた時間と場所で集まりましょう、ということで7年前にスタートして、多分この12月の例会で14回目となるはずです。
記念すべき第一回例会の参加者は確か7名でしたね。回を重ねるたびに参加者は増えると思っていましたが、これが大誤算で、平均4名から5名の参加が続いています。顔ぶれも最近はほぼ固定化し、常連が、倉田君、カッパさん、そして井上君、竹田君、多田君、青山君が続き、時々が傍士くん、巽君、平君、私あたりですよね。
年に2回の顔合わせにも拘らず参加者が少ないのは、体力や気力の衰えもあるでしょうが、最大の理由は母校への愛着心が薄いからだと思っています。
従って、固定化の解消は望むべくもなく、皆さんにのっぴきならぬ用事があって、行ってみたら一人だけだったという最悪のシナリオもあり得ます。事前に誘い合わせることになるのでは、と思います。
倉田幹事殿にはホームページ、定例会と、クラスの全てのお世話をして頂きながら、所期の成果に結びつかず、申し訳なく思っております。 

    投稿日 2018年6月6日(水)
[名前] :   出羽
[タイトル] :   阿部君を偲ぶ
[話題] :    去る5月1日、級友阿部公二君が亡くなりました。謹んでご逝去を悼み心からご冥福をお祈りいたします。ご葬儀は、5月4日天王寺区六万体(夕日丘の近く)鳳林寺にて執り行われ、池田、井上、平、諸兄と僕が参列しました。 
 我が国男子の平均寿命は81歳でありますが、既に75歳まで生きた僕たち男子が生きるであろう平均余命は87歳であることを思うと彼の死は早すぎます。 
クラス卒業52名の内、判明しているだけで10人の方が他界されました。 
浅野、阿部、川畑、小山、中野、西村、山本、今津、竹林、皆川さんであります。 
 物故者の皆様に合掌 黙祷 

 阿部君を偲んで60年前の思い出話を書くにあたって先ず、僕自身の良識の範囲内で阿部君はじめ級友のプライバシーに触れることをお許し願いたい。 
もう一つ、そろそろ認知症が始まっている僕の記憶違いの嘘が、かなりあるかもしれないこともお許し頂きたい。 

 阿部君は、高校から追手門学院に入学し、慶応義塾大学経済学部に進学、卒業後は、家業である(松屋町筋商店街の結納屋さん阿部商店、阿部ラベリング)を兄上、弟君の3人で継ぎ、阿部君は、ラベリング印刷分野の業容拡大に貢献寄与されたようである。 

 彼の小中学校は、所謂エリート校、大阪学芸大学付属天王寺?だと知って、僕ら悪ガキグループは、「よっぽど勉強せえへんかったんか、何か悪さして放り出されんやろ?」と弄ったものである。すると彼は、怒りもせず、ニヤニヤ笑いながら「その両方や」と返してきたのを思い出す。そんなキャラだったから僕らエスカレーター組の悪ガキグループともすぐに意気投合して高校、大学時代から社会人そして結婚後も交流が続いてきた次第である。 

 兎に角よく遊んだ。泳ぎ、キャンプ、麻雀、ゴルフ、呑み会など。そして悪さもした。最初の悪さは、1年の夏休みに能勢電(現在阪急)の鶯の森遊泳場に泳ぎに行った時のこと。(猪名川の上流で60年前はアユが住むほどきれいな水であった)梅田駅に集合して切符を買う折、確か阿部君だったと思うが黒田君だったかも知れない。 
 「待てまて、皆、切符買う必要ない。キセルやろ」と云い出した。8人いた中で阿部君だけが鶯の森の一つ手前の滝山駅までの切符を買い、残りの7人は梅田駅を入場券で入り、阿部君だけが滝山で下車して7人分のひと駅切符を買って鶯の森を出ようとの算段である。当時の改札は、切符切りに鋏を入れ穴をあけて貰い駅に入る時代であったから「降りるとき鋏の穴が無いとまずいで」と誰かが云うと「マッチ棒で開けたらえぇ」とのこと。 
宝塚行きの急行に乗って談笑していると発車のベルが鳴る中、駅員2人が笛を吹きながら走ってきて、全員降ろされ駅長室に引っ張られた。「入場券でどこへ行くつもりや?不正乗車やないか、どこの学校や?」と畳みかけられ、将に青菜に塩、全員青くなって「学校だけは勘弁してください」と平謝りであった。確か正規の運賃の3倍を払わされ「2度とするなよ」と釘を刺されて放免された筈である。 

 二つ目の失敗は、2年の夏休みに4,5人で湖北の木之本に泳ぎに行った時のこと。 
テントが無かったので古い蚊帳を一張り持って行き、浜辺の木陰に張って蚊の襲来を凌ぐ積りが、風が吹くと軽い蚊帳は煽られて所謂、裾空き状態になり目を覚ますと腹を膨らませた5,6匹の蚊が蚊帳の中にとまっていた。 
2日間、飯盒で炊いた飯に缶詰ばかり食べていたが、満天の星空としばしば飛来する蛍は忘れられない思い出である。 

 大学時代に5,6人で瀬戸内の家島群島の一つ、小さな島にキャンプに行った時もこれまた失敗である。姫路に近い飾磨港から船で小一時間、塩水は腐るほどあるが飲み水が少なく、日陰もなく、あるのは虎斑模様の獰猛な蚊ばかりで全員音を上げ、台風の接近もあって3泊4日の予定を2泊で切り上げて退散した。 

 1浪の僕が3回生、現役組が卒業する前年に能登に泳ぎに行った時は、特に失敗談は無いが、帰りの汽車の中でサプライズハプニングがあって、阿部君のラブロマンスが生まれ、愛が育まれた結果が、恋女房雅子さんとの結婚である。 
この件については、僕が聊か関係して所謂キューピット役を演じた経緯があるのだがマコちゃんが迷惑すると悪いので真に残念ではあるが割愛する。 

阿部、敏コ(井上)、凡児(平)、巽ッツンら互いの家に押しかけて麻雀に明け暮れた時期も懐かしい。平君の結婚祝いを持って阿部、井上君と訪ねたときは、3人して祝い金を巻き上げ、「すき焼きを食べられたうえに祝い金は自前か」と平君をぼやかせた。 
 恩師井町先生のお宅に年始に行った帰り、僕の家で徹マンに興じた折は、夜更けに腹が空いてきて辛抱たまらず、ストーブで餅を焼いて湯を注ぎ鰹節に塩、醤油だけの即席雑煮を何杯か食べたことを阿部君は何時までも覚えていて 
「あの時の雑煮の旨かったんは、よう忘れんわ」とよく口にしていた。 

 ゴルフ巧者は、青山、池田、黒田、平君で(最近40・43でのラウンドは称賛に値する!) 
阿部、井上、巽、倉田(佳)君と僕らは下手組である。阿部君とは千刈(2回)、飛鳥、宝塚高原(3回)など廻ったが彼にはかなりチョコレートを頂戴した。(チョコレートとは、何かを賭けてゴルフをプレイすること) 
 阿部商店は、木曽駒高原、宇山、木曽カントリーを所有されていて、なかでも接待リゾートで有名な木曽駒高原ゴルフは、美しくて素晴らしいコースである。 
白樺が林立する中にせせらぎが流れ、郭公が鳴き石楠が美しく咲き、リスや鹿が散見される高原に10数人も泊まれる立派な別荘がいくつもあって、阿部商店のほかは何れも一部上場企業の表札ばかりが並んでいた。僕は3度使わせて貰った。 

 ちょっとイメージが湧かないが、大学時代は弁論部に籍を置き、中年過ぎてフルマラソンに挑戦し、ハワイマラソンを完走したことを自慢にしていた阿部君が、クモ膜下出血で倒れて救急車で運ばれ一刻を争う、しかし極めてリスクの高い脳内大手術をお嬢さんの即断、英断で受けて、一命を取り留めたことは退院後に知った。回復を待って鰻・割烹菱竹(梅田の井上君のお兄さん経営の店)で快気祝いをしたとき、平気な顔でよく飲み、よく食べ、良くしゃべり、煙草も吸っていた。 

 後年になって囲碁に熱中した彼は、関西棋院でプロの指導碁を受け、アマ5段を取得、アマ指導者の資格も得る腕前になり、本田邦久プロや石井邦夫プロと中国との交流囲碁親善旅行に随行もしたと聴く。アマ5段と言うのは囲碁でも将棋でもめったに取れない段位である。冒頭に彼のことを大阪学芸大付属の落ちこぼれかと冷やかしたが、実は真逆で彼は、とても頭がよかったんだと思う。 
 したいことを好きなようにやり、仲間の誰よりも人生を楽しんだ阿部君、喜寿の生涯を閉じるとき「俺の人生に悔いはないよ!」と呟いたかも知れない。 

 同窓諸兄諸姉には取り留めない拙文にお付き合いを頂き、さぞ御迷惑であったろうが、そもそも斯様な駄文を僕が書かされる羽目になったのは、倉田(維)君が平君に「阿部君の追悼文(思い出話でも可)を書け」と宿題を出し、平君が「俺はゴルフで忙しい。カッパ書け」と僕に振ってきたのを、断り下手の僕が引き受けたからに他ならない。倉田君という人は、誰にでも宿題を出したり、勝手なテーマを与えて「同窓会までに考えて来い」などという人である。同窓会の集まりが悪いのはその所為じゃないか知らん?サンデーモーニングの張さんの口真似をして「いい加減に止めて貰いたいわねぇ」と云いたい。僕は、1年前の同窓会で「うまい魚の見分け方と料理の仕方について述べよ」という宿題を出されたが未だに放ったらかしている。 
 もっとも今回は、ほかの人の依頼なら断固断ったところだが、「平君やからまぁーしょうないな」と思って引き受けた訳は、阿部君のことを気にしながら放ったらかして何も行動しない大阪組と違って、昨年の12月はじめ、茨城県から遠路はるばる介護施設の阿部君を見舞い、先のお葬式にも参列するほどの(僕にはとてもできないことである)友人思いで誠意のある人の頼みであったから。 

 葬儀の後、池田君の案内で夕日丘の老舗のうどん屋に行き、井上君の奢りで一杯飲みながら僕は平君に云った。「君が僕より先に死んで、茨城で通夜、葬儀があっても僕は行かないよ」と。 
 最後に今一度改めて、阿部君のご冥福をお祈りして擱筆といたします。 
2018.5.20(かっぱ記)

   2018年5月11日
[名前] :   平岡(内藤)
[タイトル] :   阿部さんご逝去
[話題] :   もうお聞きになっているかもしれませんが、阿部公二さんが逝去なさったと 弟恭三さんからメールいただきました。 
家族葬で送られたそうですが、平さんは参加されたそうです。 
「学友ていいですね ほんとに残念がってくれてました 追手門はええ学校ですよ」 と恭三さんのことばです。 
タイプは違うのに ほんとうに「ダブルこうじ」でしたね。 
平さんもおつらいと思います。 
阿部さんのご冥福を祈念いたします。永い間おつかれさまでした。 

   2018年5月8日
[名前] :   幹事
[タイトル] :   阿部君が亡くなりました
[話題] :   阿部君の弟さんから公二君が亡くなったというメールをいただきました。心より冥福をお祈りします。
「先輩 今日は残念なお知らせをせざるを得ません。 兄貴が 5/1に亡くなりました。家族葬にいたしましたので お知らせはいたしませんでした。誠に失礼しました。しかしながら 東京におすまいの兄貴の大親友の平さんがわざわざおいでくださり 有り難たかったし、兄貴もよろこんでいると思います。   生前のご厚情に熱く御礼申し上げます。」
阿部恭三